26日(日)。わが家に来てから29日目を迎えたモコタロです
これでも ウインクしたんだけど わかったかな・・・・
閑話休題
昨夜、池袋の文芸坐で園子音監督映画「愛のむきだし」を観ました これは新文芸坐の「園子音長尺ナイト」(園子音監督による長編映画3作品のオールナイト)の1本目です 園子音(そのしおん)監督の映画は大好きなのですが、3作品のうちこれまで観たことのあるのは「冷たい熱帯魚」(2010年。146分)だけで、「愛のむきだし」(2008年。237分)と「紀子の食卓」(2006年。159分)はまだ観たことがありません 最初は3作品全部を観るつもりだったのですが、翌日(つまり今日)もコンサートを控えてるし、2本目の「紀子の食卓」まで観て帰ると、終わるのが深夜3時過ぎなので池袋から巣鴨まで歩いて帰らなければならないし、7時間以上にも及ぶ”座りっぱなし”は腰痛持ちにとっては身体的に致命的なので、涙を呑んで「紀子の食卓」を諦めて、最初に上映される「愛のむきだし」だけ観る決心をしました
午後7時45分から整理番号順に入場しましたが、私は4番だったので余裕で良い席を確保しました 会場は多くの「園子音」ファンと思しき人たちで埋まりました
2008年公開のこの映画のストーリーは次の通りです
「敬虔なクリスチャンの家庭に育ったユウ(西島隆弘)は、幼少時に母親を亡くし理想の女性像(マリア的存在)を追い求めている。ある出来事を境に神父の父(渡部篤郎)に懺悔を強要され始めるが、ユウは父の期待に応えようと、懺悔をするために毎日罪を作るようになる その行為がエスカレートして、彼はいつの間にか女性を狙う盗撮魔になってしまう そんなある日、ユウは求めていたマリア的な存在、運命の女ヨーコ(満島ひかり)と出会う。そして生まれて初めて恋に落ちるが、ユウはその時、女装していたため、誤解されたまま愛情を抱くことになる 父親は入信してきたある女性と結婚することになるが、その娘ヨーコこそユウが求めていたマリアだった。しかし、一家に新興宗教の魔の手が伸びてきて、ユウと家族は引き裂かれる。ユウはどういう行動に出るのか・・・・」
この映画は実話を基にした作品とのことです 映画は約半分のタイミングで10分間の休憩が入りましたが、午後8時に始まった映画が終わったのは午前0時10分でした
さて、私は先ほど「園子音監督の映画が大好き」と書きましたが、その大きな理由の一つは、園監督は映画の中で必ずクラシック音楽を使っていることです 今回の「愛のむきだし」では3つの名曲が重要な局面で流されていました
最初はラヴェルの「ボレロ」です。主に映画の前半で流されていました。同じメロディーが淡々と繰り返されていきますが、ソロを務める楽器は次々と代わっていきます。そして最後にはどんでん返しが待っています 戦闘シーンなどで流れていました
次に、ベートーヴェンの「交響曲第7番イ長調」です。数年前に空前の大ヒットとなった「のだめカンタービレ」で、この曲の第1楽章「ポコ・ソステヌートーヴィヴァーチェ」がテーマ音楽として使われていたことは記憶に新しいところです ワーグナーが「舞踏の神化」と呼んだように、全体的にリズミカルで生命力に溢れた曲です この映画で使われているのは第2楽章「アレグレット」で、重々しい葬送行進曲です。当時、この曲がウィーン大学での公開演奏会で「戦争交響曲」とともに演奏された時には、この第2楽章がアンコールされたと言われています
この映画では、新興宗教の呪縛を解くべく、ユウがヨーコを浜辺のバスに監禁し、隙を狙ったヨーコがバスから脱出し、ユウが連れ戻そうとしてもつれる場面、ヨーコが聖書の一編(愛について)を長々と朗誦し「この節を知っているか?あなたはクリスチャンと言うけれど、何も知らない」と罵倒する満島ひかり迫真の演技のシーンで重々しく流れます いくつかの他の場面でも使われています
3曲目はサン=サーンスの「交響曲第3番ハ短調」です。この曲もいくつかの場面で流されていますが、一番有効に使われていたのは最後のシーンです。ヨーコが、精神を病んで入院しているユウを見舞った時に、ユウのことを誤解していた、これからあたなが私にしてくれたことの恩返しをする、と告白するシーンです
ここで流れていたのは第3番の第1楽章の後半部分(第2部)「ポコ・アダージョ」です サン=サーンスの交響曲第3番ハ短調は2つの楽章から成っていますが、実質的には第1楽章、第2楽章ともに第1部、第2部から成る4楽章形式に等しい曲です 第1楽章の後半部分の冒頭は、パイプオルガンが通奏低音として重々しく響く中、弦楽器が宗教的な静けさでアダージョを奏でていきます
園子音監督はなぜこの曲を使ったのか?私の想像では、ユウの父親が神父であり、ユウ自身もクリスチャンであること。一方、キリスト教には教会が、教会にはパイプオルガンが”付きもの”であることから、パイプオルガンが登場する曲を選んだのではないか、ということです
「パイプオルガンの響き」ということで言えば、バッハでもブルックナーでも良かったはずですが、園監督はサン=サーンスを選びました バッハでは”荘重過ぎ”、ブルックナーでは”敬虔過ぎ”、サン=サーンスは宗教的な荘重さの中にも明るさがある、とでも思ったのでしょうか?毎回のことながら、園監督のセンスの良さを感じます 園監督の映画は文句なしに面白い
次に機会があれば是非「紀子の食卓」を観たいと思います
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