27日(水),昨夕,大手町の日経ホールで韓国のヴァイオリニスト,ソン・ヨルムのピアノ・リサイタルを聴きました
ソン・ヨルムは昨年6月の第14回チャイコフスキー国際コンクールで2位に入賞した実力者です.ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルやチョン・ミュンフン指揮ソウル・フィルなどとも共演しています
プログラムは①ウェーバー(タウジヒ編)「舞踏への勧誘~華麗なロンド」,②ブラームス「シューマンの主題による変奏曲」,③チェルニー「ロードの歌曲”思い出”による変奏曲」,④リスト「結婚行進曲と妖精の踊り」(メンデルスゾーンの”真夏の夜の夢”より),⑤プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第8番”戦争ソナタ”」です
自席はL列8番.会場は7割方埋まっている感じでしょうか.照明が落ち,ソン・ヨルムの登場です.驚いたのは彼女が思ったよりも大柄だったことです 写真で見た感じでは”小柄な少女”を連想していたのですが・・・・・・・その落差は相当大きいものがありました 黒のチマチョゴリのようなドレスで,前の部分がオレンジ,イエロー,淡いブルーの虹のような縦の流れになっている衣装で,長い黒髪をなびかせて颯爽と登場します 登場しただけで圧倒的な存在感があります
1曲目のウェーバー「舞踏への勧誘」は,妻カロリーネ・ブラントのために1819年に作曲したピアノ曲です 今ではベルリオーズの管弦楽編曲版の方がポピュラーになっています.ソン・ヨルムにとってはあいさつ代わりでしょう.軽快に演奏します
2曲目のブラームス「シューマンの主題による変奏曲」は,クララ・シューマンが末子フェリックスを生んだのを機に,シューマン夫妻への感謝の気持ちから作曲し,クララに献呈しました
この日演奏した曲の中で,ソンが最も弾きにくそうな印象を受けました.ブラームスを弾くには彼女はまだ若すぎるということでしょうか
次の「ロードの歌曲”思い出”による変奏曲」は,交響曲,協奏曲,室内楽,ピアノ曲など1000曲以上の曲を作曲したものの,今ではピアノ練習曲集にのみその名を留めるチェルニーによって作曲されました親しみやすいメロディーですが,相当技巧が求められる部分もかなりあります.ソンは次々と変わる曲想を楽々と演奏しました
前半最後のリスト「メンデルスゾーンの”真夏の夜の夢”の結婚行進曲と妖精の踊り」は,相当超絶技巧を要する難曲です 結婚行進曲の力強い導入と妖精の踊りのスピード感溢れるパッセージを見事に弾き分けていました
休憩後,照明が落ち,ソンがピアノに座って,演奏が始まろうとしているときに,1階前方の通路をうろちょろしている若い男がいました 本人が一番問題ですが,ホールの係員はこういう人を会場に入れるべきではありません 前回,このホールでルビャンツェフのピアノを聴いた時も,演奏家が登壇しているのに前方の席に座ろうとしている人が複数いました.まったく理解できません 演奏家に失礼です.当該者はもちろん,ホール運営側にも猛省を促したいと思います
後半のプログラムはプロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第8番」です.このソナタは「戦争ソナタ」と呼ばれていますが,第6番,第7番,第8番が第2次世界大戦の最中に作曲されたことから名づけられたものです これらの曲は,プロコフィエフがロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」に触発され,連作として作曲されたと言われています この曲が,この日の演奏の白眉でした.とくに第3楽章「ヴィヴァーチェ」は圧倒的な推進力で突き進みます
会場一杯の拍手とブラボーにアンコールを演奏します.1曲目はどこかで聴いた覚えがあるのですが,思い出せません ショパンのような,シューマンのような,リストのような・・・・・ソンは心を込めて演奏します
鳴り止まない拍手に,2曲目に何とチャイコフスキーの交響曲第6番”悲愴”の第3楽章「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」を圧倒的な迫力で演奏し切ったのです
それでも鳴り止まないので3曲目にモーツアルトの「トルコ行進曲」をラグタイム風に編曲した曲を自由自在に演奏し,割れんばかりの拍手を受けました.
まだまだ観客は帰らないので,同じ「トルコ行進曲」の別のアレンジによる曲を軽快に,力強く弾き切りました
コンサートが終わってみて,一番彼女の実力と魅力が現われていたのはアンコール曲だったのではないか,とさえ思います
ところで,入場に際してプログラムといっしょに「日経ミューズサロンの歩み」という小冊子を受け取りました.1971年7月29日の第1回から2012年5月25日の第400回まで,出演者がリストになっています.大ファンのアリス=紗良・オットの日本デビューは2005年2月16日の日経ミューズサロンだったことが分かります 旧日経ホールだったときに1度「ミューズサロン」を聴いた覚えがあるのですが,リストを見ても分かりません.あまりにも昔のことでまったく思い出すことができませんでした
仕方ない、天才なのだから。
天才ソン・ヨルム・・・・・
彼女の名を覚えておくか。