20日(月).昨日,飯田橋のギンレイホールで日活映画「幕末太陽傳」を観ました 監督は川島雄三,1957年制作のモノクロ映画です.2012年に日活が創立100周年を迎えることを記念して2011年にデジタル修復版として公開されたものです ストーリーはオリジナルですが,落語「居直り佐平次」から主人公を拝借し,「品川心中」などの落語を随所に散りばめているとのことです(私は落語は門外漢です)
舞台は幕末の品川宿.主人公の佐平次は遊郭「相模屋」で仲間と飲めや踊れやのドンチャン騒ぎを繰り広げます しかし,彼は一文も持ち合わせていません.お調子者で機転がきく彼は”居残り”と称して相模屋に居ついてしまい,下働きから女郎衆や遊郭に出入りする人々のトラブル解決に至るまで番頭もマッサオの活躍をします 一方,旅籠に逗留する高杉晋作ら攘夷派の志士たちとも渡り合います.あちこちから引っ張りだこの超多忙から胸の病を患い体調を崩しますが,旅籠を後に「地獄も極楽もあるもんけえ,俺はまだまだ生きるんでえ」とすっ飛んで逃げて行きます
この映画で驚くのは豪華な配役陣です.佐平次にはフランキー堺,おそめに左幸子,こはるに南田洋子,高杉晋作に石原裕次郎,金造に小沢昭一,ほかにも金子信雄,山岡久乃,岡田真澄,芦川いづみ,菅井きん,西村晃,熊倉一雄,殿山泰司,二谷英明,小林旭といった超豪華メンバーが出演しています.当時の日活スター総動員といった趣です しかし,私がテロップを見て一番驚いたのは「音楽=黛敏郎」とあったことです.なるほど,一時期の”日本の現代音楽”風の音楽が流れるシーンが随所にありました
落語をベースにストーリーを組み立てていることもあり,とにかく面白い映画です 日本映画はこんなに面白かったのか,と再認識させられること請け合いです 是非ご覧になることをお薦めします
閑話休題
昨日の朝日「天声人語」で,「涼」という字の語感に絡めた話で向田邦子のエッセーを引き合いに出して次のように書いていました
「・・・・唐突だが向田邦子さんのエッセーが脳裏に浮かんだ.その涼やかな一節.『水羊羹(みずようかん)の命は切口と角(かど)であります.宮本武蔵か眠狂四郎が,スパっと水を切ったらこうもなろうかというような鋭い切口と,それこそ,手の切れそうなとがった角がなくては,水羊羹といえないのです』.見事なセンス,水羊羹を買いに走りたくなる」
さて,そのエッセーは1977年に「クロワッサン」誌に登場し,その後,珠玉のエッセー集「眠る盃(さかずき)」(講談社文庫)に集録されました 「水羊羹」というタイトルのそのエッセーは次のような出だしで始まります
「私は,テレビの脚本を書いて身すぎ世すぎをしている売れのこりの女の子(?)でありますが,脚本家というタイトルよりも,味醂干し評論家,または水羊羹評論家というほうがふさわしいのではないかと思っております 今日は水羊羹についてウンチクの一端を述べることに致しましょう」
そして「まず水羊羹の命は切口と角であります」のフレーズが続きます.さらに「江戸っ子のお金と同じです.宵越しさせてはいけません」,「固い水羊羹.これも下品でいけません」,「水羊羹はふたつ食べるものではありません」とウンチクが続きます
そしていよいよ水羊羹を食べる時のBGMの話に移ります
「ムード・ミュージックは何にしましょうか.私は,ミリー・ヴァ―ノンの『スプリング・イズ・ヒア』が一番合うように思います この人は1950年代に,たった1枚のレコードを残して,それ以来,生きているのか死んだのか全く消息の判らない美人の歌手ですが,冷たいような甘いような,けだるいような,なまぬくいような歌は,水羊羹にピッタリに思えます」
このエッセーを初めて読んだとき,何が何でもミリー・ヴァ―ノンの『スプリング・イズ・ヒア』が聴きたくなり,早速,池袋のCDショップで買い求めました CDの解説書によると,ミリー・ヴァ―ノンは1930年ニューヨーク生まれで,この曲が収録された「イントロデューシング」は26歳の時に発表されたファースト・アルバムとのことです
『スプリング・イズ・ヒア』はロレンツ・ハート作詞,リチャード・ロジャース作曲,1938年のミュージカル「アイ・マリード・アン・エンジェル」の中のナンバーで,歌詞は「春が来たけど,心は弾まない,恋人が居ないから」という春の憂鬱を歌ったものです
家に帰ってさっそく聴いてみたのですが,ミリー・ヴァ―ノンはバラード調のこの歌を,まさしく「甘いような,けだるいような」歌いっぷりで歌っていました ただし,私はこの曲が水羊羹を食べる時にふさわしい曲か,と問われると,そうは思いません むしろ,明日のわが身を想いつつウイスキーを傾けながら聴くのにふさわしい1曲のように思います
実は,このエッセーには続きがあります
「クラシックに行きたい時は,べロフの弾くドビュッシーのエスタンプ『版画』も悪くないかも知れませんね」
向田邦子さんはミシェル・べロフを指定しています.一生涯独身を通した彼女にとって,せめて大好きな水羊羹を食べる時のBGMのピアニストは当時の”イケメン”男性であることが必然だったのでしょう でも「悪くない」と言っているので,理想からは遠いのかもしれないな,と思ったりもします.「好き」と「悪くない」との間にはいかに遠い距離があることか 残念ながら私はべロフの弾くドビュッシーのCDを持っていないのでLIVIA LEVというハンガリー生まれの女性ピアニストの演奏で聴いてみました ただし,ドビュッシーの「版画」は①塔(パゴダ),②グラナダの夕べ,③雨の庭の3曲から構成されているので,彼女がこのうちのどれを「悪くないかも知れない」と言っているのか判りません 曲想からすると②の「グラナダの夕べ」がふさわしいような気がしますが,こればかりは本人にしか判りません
今回「天声人語」をきっかけに,あらためて向田邦子のエッセーを読み返してみましたが,何のことはない日常生活のちょっとした一コマを掬い上げ,豊かな感性で,これ以上削りようのない短い文章によって,読む人の心に残る表現ができる 彼女の独壇場です.向田邦子はずっと前から私が文章表現で目標にしている理想の人です
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