9日(木).昨日の日経朝刊・文化欄にヤマハ取締役常務執行委員の岡部比呂男氏が「ウィーン・フィルの音色救った~伝統の管楽器途絶える寸前、ヤマハが開発担う」というエッセイを書いています
要約すると、
「ウィーン・フィルは170年以上も伝統の音を守ってきたが、1970年代にはウィンナ・ホルンやウィンナ・オーボエは製造が途絶え、滅びる寸前に陥っていた 当時、管楽器の製作に乗り出したばかりのヤマハはウィーン・フィルの演奏家が来日すると、突撃して楽器の試奏を頼み込んだ。当時は国内でさえヤマハの管楽器は使われていなかった」
「ウィーン・フィルの演奏家から求められたのは”明るい”、”やわらかい”音だった ウィーン・フィルの本拠地である楽友協会はたっぷりと響かせるホールだから、音量はそれほど大きくなくてよい 弱音と強音で音色が変化し、弦楽器にキラキラとした輝きをプラスするような繊細な音作りが求められた 当時、米国のオーケストラとも管楽器を開発していたが、要求の内容は正反対。巨大な音量の金管群を擁するフィラデルフィア管弦楽団などからは”太い”、”暗い”、”重い”音を要求された」
「最終的な決め手は素材だった。トランペットのヘルムート・ボービッシュさんが愛器の一部を切り取って提供してくれた。分析すると真ちゅうの中に、鉄や鉛などの不純物が少量混じっていることが分かった。社内の部署に頼み込んでこの素材を再現してもらい、かなり理想に近い音を出すことができた ウィーン・フィルからは、ヘルベルト・フォン・カラヤンがザルツブルク音楽祭で指揮をするヴェルディのオペラ「アイ―ダ」のため、アイ―ダトランペットの製造も頼まれ、12本を製作し、実際に使用された」
以上のエピソードは、クラシック音楽愛好家にとっては既知のことですが、ヤマハが当時、米国のオーケストラからも管楽器の製造を依頼されていたことは初めて知りました 世界的な信用と名声を獲得するために採算度外視で取り組んだのでしょう。もちろん、そのためには確かな技術力がなければ不可能です。日本の技術は家電製品や乗用車に限らず,楽器の世界でも海外からの厳しい要求に応えることができたということです
ヤマハは長年の貢献が認められ、今年5月にウィーン市から功労金章を受勲したとのことです その勲章、まさか真ちゅうの中に鉄や鉛などの不純物が少量混じっていた、ということはないでしょうね
閑話休題
今日はドミトリー・ショスタコーヴィチの命日です.1975年8月9日に死去しました.比較的最近のことだったのですね
ショスタコーヴィチは交響曲と弦楽四重奏曲をそれぞれ15曲,オペラ5作品,協奏曲ではピアノ,ヴァイオリン,チェロを各2曲ずつ書いています
最も有名な交響曲第5番は,ソヴィエト革命20周年という記念の年に初演され,大成功を収めましたスターリン独裁体制の文化統制のもとで批判を受けていたショスタコーヴィチの名誉を一気に回復させました
多作家の彼は1966年に心筋梗塞の発作で入院,健康に不安を抱きつつも多くの作品を書き続け,1975年の今日,モスクワで波乱の生涯を閉じました
最近聴いたショスタコーヴィチの演奏で印象に残るのは,8月5日に都響の弦楽メンバーとピアノの小川典子が演奏した「ピアノ五重奏曲ト短調」の演奏です(6日のブログ参照)
私がLPレコード時代によく聴いていたのはレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルによる演奏で,1979年7月2,3日に東京文化会館でライブ録音されたレコードです レコード・ジャケットに書かれた音楽評論家・門馬直美氏の表現によれば「バーンスタインは,この曲のもつ現代的な闘志や勝利感,或いは沈潜的な思考を,スケールの大きな音楽の中で鮮やかに表現している」ということですが,昨夜,久しぶりにLPを聴いてみて,まさに正鵠を射た表現だと思いました この演奏を聴くと,不可能なことは何もなかった,ような顔をして生きていた青春時代を思い出します
ついでにCDで別の演奏を聴いてみました.ショスタコ第5番の初演者(1937年)エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニーによる1983年の録音です.これは彼独自の妥協を許さない厳しい,推進力のある演奏です
たしかtora様もアップされてたような記憶があるのですが、今年のラフォルで庄司紗矢香さんのVL協奏曲一番を聴いて感動し、CDを購入したのです。11月にはチェムンスさんのソロでハーディング指揮の新日本フィルの公演あるし今から予習しないと!(苦手と言いつつチケットは買ってる私…笑)
それまで,一度もこの曲を聴いたことはありません.しかし,その時,背筋が寒くなるような感動を覚えました.こんな経験は滅多にありません.ショスタコに対するアレルギーのようなものがなかったことが幸いしたのかも知れません
りら様にアドヴァイスするとすれば,まず最終楽章をじっくり聞くことをお薦めします.それから前の楽章にさかのぼっていくのです.一般的なクラシック音楽鑑賞法からすれば,邪道と言われるかも知れませんが,最終的にこの曲が,分かるとか分からないとかは別として,好きになればいいのだと思います.ポイントは繰り返し聴くことです