レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アイスランド語の二者択一 文法か実態か?

2024-10-19 20:48:26 | 日記
こんにちは/こんばんは。

またしても二週間ぶりの更新となってしまいました。秋めいた陽光に包まれていたレイキャビクですが、一時期マイナスにまで気温が落ち込み、雪も降りました。ひどくはありませんでしたが、「舞ってる」以上のもので道路が白くなるくらい。

慌ててスパイクタイヤへの交換にラッシュした人も多いようです。私はそれ以前から交換の予約を入れてあったので、14日の月曜日にスパイクタイヤ・レディー。スパイクタイヤは粉塵公害に加えて、道路を傷めるという副作用があるため、禁止を求める声もあります。ただワタシは道路よりも自分の生命の方が愛おしいので、遠慮なくスパイクを履きます。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Koushik_Chowda@unsplash_com


ああ、それからアイスランドでも選挙です。11月30日投開票。独立党、進歩党(という名前の保守党)、それに緑の党による三党連立政権は任期約半年を残して崩壊しました。それでも七年間も続いたんですけどね、ウソみたいに。

ポリシーに相当の開きがあるこの三党を繋げていたカトリーン前首相が、大統領選出馬のために政権を去ったことで、いよいよ「接着剤」がなくなってしまったようです。

ちなみに現段階での緑の党は2,3%の支持しかなく、おそらくこの選挙で国会から姿を消します。こちらでは5%条項というものがあり、得票総数が5%に満たない党(正式には比例代表名簿のようなリストですが)は、アウト! となります。

私はいまだに名前だけは緑の党のメンバーですが、まあ、仕方ないですね。やり直すためには、一度そういう時期を経験すべきかも。

さて、今回はアイスランド語についてです。ちょっとマニアックな話しになりますがご容赦。今日(19日)のモルグンブラウズィズ紙に面白い記事が出ていたのでそれを元にして書いてみます。記事はバルドゥルさんというアイスランド語の教授によるもの。

実はこのバルドゥルさん、私の一家(まだ妻帯中の頃)が、レイキャビクに移った際に同じ家の上下というお隣さん。バルドゥルさんの小学生の娘さん二人が、うちの子供たちのお守りをよくしてくれたものです。

そのお嬢さん方も、今は成人して自身の家庭を築いています。いつの間に?という感じもしますが、そりゃそうだよな。お守りしてもらってたうちの娘に子供がいるんだから。(歳を実感する時 (^-^; )




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Anton_B@unsplash_com


Baldurさんは定期的にアイスランド語に関しての記事を投稿しています。モルグンブラウズィズ紙は保守系で、アイスランド文化や言語の保護にも当然積極的。バルドゥルさんもこの点では同様。

アイスランド語には単語の「性」というものがあります。男性、女性、中性の「ジェンダー」です。ドイツ語やフランス語にもありますよね。スェーデン語やデンマーク語では、進歩し簡略化されて「両性」(男女性)と中性のふたつだったと記憶しています。

アイスランド語で、普通に「人たち」の意味で使う言葉はfolkフォルクなのですが(ドイツ車のVolksvagenのVolkと同じルーツ)、これは意味的には複数なのですが、名詞としては中性単数となります。したがって、folkを代名詞で受ける際には中性単数のthadを使います。

ところが、最近のアイスランド語の風潮に、folkといった後にそれを複数代名詞で受けるものがあります。バルドゥルさんが記事の中であげている例は「いろいろな階層のfolkが集まり、thauソイは現状について苦言を呈した」このthauは中性複数の代名詞なのですが、文法的にはthadが正解。

このような風潮の裏には、文法の正確さよりも描写している事柄の実態により重きを置くような考え方があると思います。実際に集まっているのは複数の「人々」であるわけですから。でも、それならfolkそのものを複数名詞にしたら?ということもできますが... へへ。

この風潮の伏線には「男女同権」へのプレッシャーがあります。どういうことかというと、例えば議長を意味する言葉はformadurフォルマーズルなのですが、このマーズルは「男」を意味する男性名詞。

そこで、男女同権の考えを持つ人々が「なぜ議長は『男性』なのか?formanneskjaフォルマンネスキャ(manneskjaは『人物』を意味する女性名詞)の方が公正では?」

バルドゥルさんは、確か以前の記事でこの点を論じていて、「madurという名詞は、単に『男』だけではなく、性にとらわれない『人』をも意味する」と。




バルドゥルさんの投稿記事
Myndin er ur Mbl.is


これはひとつの例ですが、他にも似たような言葉は山ほどあるわけですよ。大統領forsetiは男性名詞ですが、現大統領は女性です。ですから、大統領と言った後にはhannハン(男性単数)で受けるのが文法的には正解なのですが、みんな実際は女性だと知っているので、hunフン(女性単数)で受けることも多く見受けます。

もっともバルドゥルさんの意見では、これは文法的にも許されている例外であり、forsetiは女性形で受けてもいいのだそうです。

アイスランド語の文法を守ろうとする人々は、まあ基本的に保守的になりますが、別に変化を否定しきっているわけではなく、なし崩しに文法が無視されることを警戒しているようです。

生徒たちを意味するのはnemendurネーメンドゥル(nemandi男性単数の複数形)です。当然これを受ける代名詞はtheirセイル(男性複数)なのですが、「実態」を見る風潮から、これをthau(中性複数)で受ける人も多いようです。生徒たちは男女共にいますから。

バルドゥルさんは、このような言葉の置き換えは気に入らないようです。「代名詞の性について、実際のジェンダーと結びつけて考えることは間違っている。代名詞の性は実際には『性なし』なのだ」としています。

わかるような、わからないような。




清涼感アップ用ピック3
Myndin er eftir Vincent_Guth@unsplash_com


例えば慣例句でallir velkomin アットゥリール・ヴェルコーミン「皆さん歓迎」と言いますが、このallir は形容詞allur(英語のallの男性複数形)なのですが、意味はジェンダーに縛られずに普遍的な意味での「皆さん」を意味しています。

ところが文法的には、修飾語のvelkomin(英語のwellcome)は中性複数の語尾変化をしています。つまり、allirは男性複数なのに、velkominの方は中性複数なのです。これも「実態」を意識してのことなのか?

ちなみにここでのallirは代名詞ではなく形容詞なのですが、おそらく文法的には「形容詞の代名詞的用法」とかいうのだろうと思います。間違ってたらごめんなさい。Akakuraさん、教えて!

アイスランド語、学ぶ身としては「これが正しい」というものを示して欲しいのですが、年がら年中「例外」そして「これは『非』例外」に直面するのが実際です。文法はきちんと学びたいものですが、あまり突き詰めて「正解」を追求しようとすると墓穴を掘ります。

こういうのを「奥が深い」というのだろうか?ちょっと違う気がする。「ダブルスタンダード」?「トリプル」?「その場その場主義」?あるいは「カオス」?アイスランドの皆さん、移民に「しっかりアイスランド語を勉強しろ」と言うなら、もう少ししっかりしてくれ〜〜!


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すべて世は事も無し」ってか?

2024-10-05 20:49:06 | 日記
こんにちは/こんばんは。

十月の最初の週末。ここ数日、レイキャビクは美しい秋の陽光に包まれる時を与えられています。やはり気持ち良いですね、風もないし。爽やかというか、平穏というか、ロバート・ブラウニングのPipa’s song という詩を思い浮かべてしまいます。




今朝の寝室兼仕事部屋からの景色
Pic by Me


時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀 なのりいで、
蝸牛 枝に這い、
神 そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(上田敏・訳)

まあ、これは春の詩(うた)だけど...

「すべて世は事もなし」この詩は小学校だか中学校の国語の教科書に出ていたもので、以来、最後のこの一句だけ覚えてしまっていました。今朝(5日の金曜日)のような、穏やかな日に時折思い出します。

ただし、「すべて事もない」のは、私の視野にあるごくごく限られた「世」というものであって、実際には「世」はこれでもか!と言わんばかりの「事」に満ち溢れてしまっています。ウクライナ、ガザ、レバノン そして今日のニュースによるとハイチでもひどい事件が... まったく、どうなるんでしょうね、世界は?

もう少し身近な「世」でも「事」はたくさんあります。前回ご紹介したように、アイスランドでも殺人事件が –しかも子供が巻き込まれた– 複数回起こってしまっていますし、傷害事件も増加しています。

もうひとつ気に入らないのは、アイスランド社会の中にある「反外国人キャンペーン」みたいなもの。最近、政治家やメディア関係でUtlendingamalウートレンディンガマウルという言葉が頻繁に使われます。Utlendingaというのは外国人(utlendingur)の複数連語形でmal(問題)が付いて「外国人問題」ということです。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Rory_hennessey@unsplash_com


「移民問題」でもなければ「難民問題」でもなく、「外国人問題」なのです。ということはオイラもその問題の仲間ということになります。

まあ、「外国人」と言っても人類の総人口は81億1900万人だそうですから、移民を差し引いたアイスランド人の総数を35万人程度とすると、81億1865万人を相手にしているわけで、まあ大きく出たもんだ、と感心させられます。

皆さんも日本のニュースとかで見聞きすることがあるかと思いますが、ヨーロッパの多くの国々では反移民感情が高まっています。反移民を掲げるいわゆる「民族主義的右派」の政党がドイツやフランスでも躍進してしまっています。

アイスランドにも、そういう主張をするグループはこれまでにもありましたが、政府の公式な見解やコメントレベルではそう顕著になることはありませんでした。

(*脱線しますが、私の使っているMacOS、最新のSequoia15.0.1. なのですが、ローマ字入力からの漢字への転換が信じられないほど間抜けです。これまでの転換の学習もしないし。しかも、転換なしでひらがなのままを入力したい時に、勝手に漢字に変えられてしまうことが多々あります。疲れる。どうにかしてほしい)

それが一年前くらいに、独立党の党首ビャルトゥニ氏(現首相)が「外国人問題」という言葉を使い始めて以来、メディアもその言葉を使い始めました。最近では他党の政治家までutlendingamalを口にします。




シィンクヴァットゥラ公園も秋めく
Myndin er eftir Vigdis V. Pallsdottir med leyfi


とりわけ率先してこの反外国人キャンペーンの音頭を取っているのが独立党系の大手新聞のMorgunbladidモルグンブラージィズ紙。

以前から党派性はありましたが、それでも一応クオリティペーパーだったのですが、今ではなりふり構わぬ感じの民族紙の感があります。連日、例えば難民に関する否定的記事のオンパレード。

これは、何も批判的な明言をしなくとも、「タクシー運転手が料金詐欺をしました。この運転手は元難民でした」的な書き方で、要するに「煽り記事」の範疇です。

こういう記事をですねえ、毎日々々目にしていると、それほど世の中の事情に通じていない人は「そういうものか」と信じ込んでしまうに違いありません。刷り込み成功。

こういうキャンペーンが発展するのは、まずいずれの場合も庶民の生活の窮状に関係しています。例えばアイスランド、特に首都圏では住宅事情がひどい状態です。「アイスランド人の間にホームレスが出ている一方で、難民は住宅を無料であてがわれている」「難民が住宅を我々から盗んでいる」こういうのが典型的な理屈。

住宅問題は今から十年も前から論じられています。政府は何もしていません。例えば新しく大きなマンションが建築されても、超富裕層が多くの部屋を「賃貸用」に買い取ってしまい、結局庶民には無縁。

また、観光業の発展につれて、従来の賃貸住宅が、儲けの良いツーリスト向けのAirBNBとかに変わってしまったことが住宅難に拍車をかけたのですが、それに対しても無制限のまま。

ウクライナ難民が増加した際も、住宅の需要がさらに増えるとわかっているのに、政府は仮設住宅等の建設よりは、すでに不足している賃貸アパート等の借り上げに奔走しました。結果は反移民・反難民の連中に「奴らが住宅を盗んでいる」と言わせる格好のネタを提供しただけ。

要するに住宅難は政府の失政・怠慢と、住宅難からウハウハの利益を得ている一部の富裕層の貪欲のせいであって、移民や難民の故ではありません。




これは思いつきのアングルで撮った教会
Pic by Me


日本と同様に、ウクライナ侵攻の煽りで物価が上昇していることも庶民の生活を苦しめています。そこで言い始めたのが「ウクライナ支援が我々の生活を苦しめている」

アイスランドがウクライナを支援しているのは、何も人道上の理由からだけではなく、ウクライナに持ちこたえてもらわないと、政治的にも長い目で見ればアイスランドの権益にマイナスになると見込まれるからです。

民族主義的右派は、そういうことにはまったく触れず、あたかもウクライナ人のせいでアイスランド人の生活が圧迫されているかのように問題を取り上げ、吹聴します。これも一般大衆への刷り込み戦略ですね。

以前、日本史や世界史を学んでいた際に、「なんで日本は戦前ファシスト政権をゆるしてしまったのだろうか?」とか「頭の良いはずのドイツ人が、なんでヒトラーなんぞを盲信したのだろうか?」と不思議に思ったことがあります。

今、こうしてアイスランドでの「反外国人」キャンペーンを毎日目にしていると、「なるほど」と以前からの疑問に対する答えのようなものを見出す気がします。

こういう状況を認識しながらも、「疲れるから反論しない」知識人や、「反外国人の方が支持を得やすいから」という目算でものを言う連中も少なからずあるようです。

私自身、これまで随分ものは言ってきた方なので認めますが、確かに反論するのは疲れるんです。だけど「黙ったまま」っていうのは、やっぱりダメだよな。民主主義とか、人権とか、勝手には来てくれないし、放っておくとどこかへ雲散霧消ということもあり得ます。

日本の皆さんも、いろいろと似たような状況が思いあたるかもしれませんが、言論の自由を含めて、権利は行使しないと減っていってしまうものです。頑張りましょうね。

というような時勢だからこそ、それが許される時には穏やかな天気の下、散歩でもしながら「すべて世は事も無し」と落ち着くひと時も必要か?そういうことにしておきましょう。(*^^*)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする