レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Merry Christmas! です

2024-12-24 00:01:23 | 日記
こんにちは/こんばんは。

12月24日になりますね、日本は。
というわけでMerry Christmas! です。教会関係者の中では、もっと丁寧に「主のご降誕のお喜びを申し上げます」というような挨拶もあります。






アイスランドではGledileg jolグレージィレーグ ヨウルが決まった挨拶言葉になります。「喜びのある」「嬉しい」プラス「クリスマス」で「喜びに満ちたクリスマスを」という意味になります。

ただ実際の挨拶としては、発音が崩れに崩れて「グレリヨウ」みたいになります。アイスランド語はかなりスペルに忠実に発音していく言語だと思いますし、ここまで慣用的な発音になりきっている言葉は他にちょっと思い当たりません。

さて、今日はちょっとクリスマス的なお話しになります。このブログはキリスト教の布教が目的ではありませんので、あまりに宗教的な内容に傾かないようにしているのですが、私が牧師であるということも事実ですので、たまにはそっちの方向に入り込むこともあります。気になさる方は、ここでストップしてくださいね。

昨日の日曜礼拝で話したのですが、聖書のクリスマスの物語りの中に、イエスの母となるマリアが、遠い親戚のエリサベトを訪ねる、というエピソードがあります。話しの順序としては、まず天使がエリサベトの夫のザカリアに現われ、エリサベトが子を宿すことを告げます。実はこの夫婦はもう老齢になった夫婦で、子供は諦めていました。

次に当時まだ15、6歳だったろうと推定される処女マリアに天使が現れ、彼女がイエスを宿すことを告げるのです。その際に「あなたの叔母さんのエリサべトも(神の力により)子を宿している」ことも教えてくれます。




クリスマス前のレイキャビクスナップ1 写真は去年のもの
Pic by me


それを聞いたマリアはエリサベトに会おうと3、4日はかかる徒歩での旅路に着くのです。マリアがエリサベトの家に到着し挨拶すると、エリサベトのお腹の胎児が喜びのため踊りあがったと記されています。

そしてエリサベトは自分の孫のような年齢の少女マリアを「私の主のお母様」と叫んで自らも敬意と喜びを表し、それを聞いたマリアも神に感謝を捧げる唄を奉じるのです。

エリサベトにしても、マリアにしても、非常に特異な状況に突然放り込まれていました。子宝に恵まれなかったエリサベトは、一方で喜びを感じながら、反面、超高齢出産という現実的な危機に直面しています。

マリアはと言うと、彼女はすでにヨセフと婚約していたのですが、この神的な懐妊により婚約解消の危機と、さらに言えば夫婦間外での妊娠を罪とする当時のユダヤ律法により石打ちの刑に処される可能性さえありました。

マリアは天使のお告げに畏怖とありがたさを感じたでしょうが、人間的な視点からすれば、踏んだり蹴ったりの状況に陥ってしまったのです。幸い天使はヨセフにも現れ、恐れずにマリアを娶るよう諭し、婚約解消は回避され、のちにヨセフとマリアは結婚します。

このようにエリサベト、マリア共に「想定外」の状況に見舞われていたのです。




クリスマス前のレイキャビクスナップ2 写真は去年のもの
Pic by me


私たち自身を振り返るとわかるのですが、何かがマニュアル通りに行かないとパニックに陥ったりしますよね。例えば、アプリをダウンロードしたのに開くことができない。なぜ?

という時にすることは、だいたいみなさん同じだろうと思うのですが、Googleで同じ問題を経験した人からの解答を探します。大概の問題は、どこかの誰かが体験していて、ご親切にも解決をネットに載せてくれたりします。ありがたい限りです。

マリアがエリサベトを訪ねたのにも、同じような理由があったのではないかと推察されます。マリアは天使の告げたことを跳ね返すような態度はとりませんでしたが、すべてを理解したわけでもありません。多分、エリサベトが自分の理解を助けてくれることを期待していたのでしょう。

エリサベトにしても、状況は似たようなもので、彼女の場合はメッセージははっきりとしていたものの、実際に無事に子供が生まれるのかどうか、つまりは神がそこまでちゃんとケアしてくれるのかどうか、信じきれない部分があったことでしょう。

そしてふたりが出会った時、エリサベト、マリア共、確かにそこに神の意志が働いていることを実感し、神の救いがそこにあることを信じることができました。「救い」とは彼女たちふたりのため以上の意味のあるものだったのですが。

このエピソードは、何か「固有の」困難の中にある者が、まったく同じではないとしても類似の困難を持つものと共にあることで、互いを支え合い、また高めあうことができることを示しています。




私のいる教会 今年の家族クリスマスからのスナップ
Pic by me


先にエリサベト、マリアの状況を「非常に特異なもの」と述べましたが、考えてみれば程度の差こそあれ、私たちひとりひとりの人生も「固有で特異なもの」です。平凡なように見えて、普段は意識していなくとも、深いところではそれぞれに「特別なこと」「唯一無二」の部分があります。

それが逆に、何かの問題に巻き込まれて「特異な状況」がバンと前に押し出されるようなことになってしまうと、私たちはパニックに陥り「どうしよう、誰もこんな状況を理解してはくれない」と勝手に孤立化してしまったりもします。

問題がある時こそ、私たちは孤立を避け、まずは同じような困難を抱えている人が他にいないかどうかを尋ねてみるべきでしょう。そのような人を見つけることができれば、助け合う機会も与えられます。

私がお世話をさせていただいている教会の集会には、難民の経験がある人や、現在難民申請をして、移民局からの解答を待っている人が多く集っています。別に特にそのような人向けの宣伝をしているわけでもないのですが、間断なくそのような人たちが新たに加わってきます。

それで「難民」「難民申請者」という「特異な状況」について、情報を交換したり励ましあったりして、互いを支え合っているわけです。良いことだと思います、それは。

ただ、私は牧師ですのでその方達に「もう一歩」進むように勧めます。私たちの人生がそれぞれに固有のものであり、「唯一無二」のものであるとすれば、その私たちの生活に現れる神の恵みもまた固有の仕方、独自の仕方で現れるはずです。

聖書という書物は家電のマニュアルのようなものではありません。家電のマニュアルは、誰に対しても均等に同じ情報を提供します。対して聖書というものは一見、誰に対しても同じ内容であるように見えますが、実は読む人それぞれに対して、特有のメッセージを与えてくれるものなのです。

ですから、例えば同じ教会の同じ集会に集っていても、それぞれが体験する神の恵み、キリストとの出会い、救いの体験というものは様々ですし、それぞれに固有のものであるわけです。




クリスマス前のレイキャビクスナップ3 写真は去年のもの
Pic by me


そこで大事になってくることが、そのような自分の「神体験(?すごい言葉かも) を、口に出し周りの人たちとシェアすることです。だって本人がそれについて語ってくれない限り、他の人たちはそのことを知り得ませんから。そしてそのようにして分かち合われた体験が、今度は別の人をインスパイアし、困難な状況に耐えたり乗り越える力となり得るのです。

今回のエリサベトとマリアのエピソードでも、彼女たちは –エリサベトのお腹の赤ちゃんも含めて– 自らの体験と感情を表しています。それが互いを支え合う力となったのです。

神は私たちを、私たちの兄弟姉妹、隣人たち共に創造しました。私たちをひとりきりで地上に残すようなことはしませんでした。だから、私たちは自分のことだけではなく、周囲にいる人々のことも考えるべきなのです。

周囲の人たちと一緒にいるということはどんな意味を持っているのか?自分はきちんとその意義を捉えているだろうか?それを進めていくならば、ひとりでいるよりも共にあることが大切であると思えてくるかもしれません。

あるいは周囲との「持ちつ持たれつ」という関係が、ダラダラしたしがらみなどではなく、創造的で互いを高めあう関係に変わっていくかもしれません。「しれません」というよりは「そうなる」とワタシ的には確信していますが。

というわけで今回は、ちょっとキリスト教的な気配の強い内容になりました。そういうこともあります。宗教的な云々が好きでない方はご容赦ください。毎回、そうではありませんから。

それでは、皆さんが和やかで平和なクリスマスを過ごされますようお祈りしています。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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アイスランド、新政権誕生します

2024-12-21 19:21:15 | 日記
こんにちは/こんばんは。

あっという間にクリスマス目前の頃になっています。「十二月はマメにブログを更新しよう」と思っていたのですが、月前半の体調不良等がありまた元の木阿弥となってしまいました。




ちょっとクリスマス前気分の一枚
Myndin er eftir Astra_Liu@unsplash_com


さて、十一月の末日にアイスランド国会Althingi(アルシンキ)の議員の選挙があったことはお伝えしました。その後政権交代は確定したもの、新たな政権の組閣等の討議がのんびりと続けられたまま、組閣の青写真の未発表が続いていました。

こちらでは、組閣とかはあまり急いでしないのが普通で、平気で一ヶ月くらいはかかります。特に単独ではない連立政権となる場合には、事前にstjornarsattmaliストョウルンナアサウットマウリという政権合意書をかなり念入りに作成し発表します。

単なる形式ではなく、それなりの拘束力を持つ合意なので、作成には十分な時間を費やすことになるわけです。新政権が発足するまでの期間は、これまでの政権が職務を代行します。当然のことながら「代行」の範囲内での職務ということになります。

で、ようやく新政権の合意がなったようで、実は今日(12月21日土曜日)の夕方から新政権がアイスランドの舵取りに就くこととなりました。今は午前8時半くらいですが、記者会見が午後1時に予定されています。

ざっと選挙の結果をご紹介しておきます。

獲得議席数、及び得票率順に:
サムフィルキング(社会民主連合) 15(+9) 20,8%
独立党 14(–2) 19,4%
ヴィズレイセン(再生党) 11(+6) 15,8%
人々の党 10(+4) 13,8%
中道党 8(+5) 12,1%
進歩党 5(–8) 7,8%
社会主義党 0 (±0) 4,0%
ピラター(海賊党) 0(–6) 3,0%
緑の党 0(–8) 2,3%
民主主義党 0(前歴なし) 1,0%




選挙結果一覧
Myndin er ur RUV.is


これまで七年間政権を担当してきたのは、独立党、進歩党(という名前の保守党)そして緑の党の三党。いずれも議席、得票率ともマイナスとなりました。特に私がいまだに形式的には属している緑の党は大惨敗。国会から姿を消しました。

七年間の政権のあり方への国民の厳しい裁きが下ったということになりましよう。Covid、火山の噴火、ウクライナの問題等、難しい状況ではあったと思うのですが、国民はこれまでの政権に「疲れた」のだと思います。

ついでですが、ピラターも国会から姿を消しました。ピラターは「海賊」を意味しますが、その名称から想像されるように、なんというか伝統的民主主義の「はねっかえり」的な性格を持つウルトララジカルな党でした。

当然、国民教会とかにもネガティブな考えを持っていたので、私は支持はしませんでしたが、逆に難民問題とかでは歯切れ良く政権の後ろ向きな政策を批判してくれましたので、実は結構付き合いのある党でした。

ピラターが消えてしまったのは、想定外でしたしちょっと痛いですね、ワタシ的には。

あと、選挙前のリサーチでは「今回は行くだろう」と思われていた社会主義党(正確には『社会主義者党』か)が、やはり議席を持てなかったことも意外。こちらでは「5%条項」というものがあり、5%に満たない得票率の党(比例代表リスト)は、議席を持てない仕組みです。

総じていうならば、今回の選挙結果では、第一にこれまでの政権/党に対する厳しい判断がなされ、かつ左派陣営に対しての冷たい判断というか、おそらくは全体としての右傾化がなされた、ということでしょうか。




新政権の要となる女性三人 左からインガ、クリストルン、ソルゲルズル各氏
Myndin er ur Visir.is/Vilhelm


このような右傾化は、必ずしも軍国主義化と結びつくものではありません。ただ、反移民・反難民、移民を除いた「自国民」ファースト、というような西ヨーロッパ全体で共通するトレンドに結び付いています。

ということは、私のような者(アジア系移民で、移民や難民のための仕事をしている)にとってはちっとも歓迎できるものではありません。お寒い時代の到来です。

サムフィルキングが社会民主連合ですので、まあ左派に勘定できないこともないのですが、私はサムフィルキングを左派とはみなしません。中道でしょうね、良く言って。悪く言えば「理念を失くした左派集団」つまり将来、どうにでもなり得る。私は期待しません。

それで、今日明らかになるはずの新政権ですが、これはサムフィルキング、ヴィズレイセン、人々の党の三党連立となります。今のところはっきりしているのは、サムフィルキングのクリストロン・フロスタドティール党首が新首相となることだけ。

クリストロンさんは女性で、もともと銀行かなんかの経済アナリストかなんかをしていて、政治の世界に入ったのはわずか二年くらい前のことです。いきなりサムフィルキングの党首に選ばれたのですが、国会に議席を持つのは実は今回が初めて。

まったく政治歴がない人がいきなり国政のトップに立つことになるのですが、八年前のトランプと同じようなケースですね。あそこまで悪くならないように望みますが、たいして期待もしていません。

まあ、ワタシは銀行屋を諸悪の根源とみなしていますので、かなりの偏見を持っていることは認めますが...




口直し用ピック お気に入りの「青い樹」
Pic by me


それでも他の当選組のメンツを見ると、サムフィルキングには良い人材がいるということも言えます。Covid期に国民的ヒーローとなって活躍した、医師のアルマ・ムラーさんや、警察官のヴィージル・レイニスソンさんらが新人議員となっています。

ヴィズレイセンはもともと独立党と根っこが同じ保守勢力で、EU加盟を積極的に推す立場から独立した党となったように記憶しています。他にももっとあったのかもしれませんが、私の知識外。

ヴィズレイセンには、何も新しいものはないように私には思えます。ちなみに党首のソルゲルズル・カトリーン・Gさんは以前独立党の議員で、教育大臣か何かを務めていました。

人々の党の党首のインガ・サイランドさんも女性。この党は良くわかりません。社会の低下層にある人々の不平不満を汲み取っていることは評価できるのですが、そのような不平を作っている諸問題の原因を移民・難民に帰するようなところがありますので、私は信用していません。

というわけで、今日の夕方から、アイスランドでは大統領は女性。首相も女性。
ついでに教会のビショップも女性、という女権国家に戻ります。ワタシ、実体験から、女性の力を賞賛している立場なのですが、今回はあまり期待できないなあ... このメンツでは...

私の単なる偏見であることを願います。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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「名の知れぬ船員」の軌跡

2024-12-06 19:47:33 | 日記
こんにちは/こんばんは。

アイスランドでは、先週末の土曜日にAlthingiアルシンキ(国会)議員の選挙が行われました。当日は北部から東部、南部にかけての荒天が見込まれ、一部での投票日延期も予想されていました。

実際には投票は順調に行われ、開票も土曜の夜から始められスムーズに日曜日の未明には大勢が判明しました。こちらの結果の方は予想された通り、政権交代となりました。次の政権の組閣等はまだ「討議中」なので、選挙結果関係は次のブログくらいにご紹介できればと思います。

なんとなく感じていただけるかもしれませんが、「書きたいー!」と思うような結果ではありませんので、ワタシ的には。(^-^;

さて今回はローカルなニュースです。「アイスランド的だなあ...」と感じたのですが、よく考えると日本でもありそうな話しか?ただ日本でも「ローカル版」の話しではないかと思えるようなものです。




Flateyriからの美しい風景
Myndin er eftir Freysteinn_g_jonsson@unsplash_com


先週の土曜日、ちょうど選挙当日のMorgunbladid紙で見つけたのですが、これはもちろん全国紙で、しかも二面の扱い記事です。見出しは「驚きつつも答えを得て喜び」というようなもの。

小見出しでは「ノルウェー海軍従軍者の家族、墓を訪れる」

アイスランド北西部の小さな町Flateyriフラーテリの墓地に、「名の知れぬ船員の途」とだけ白塗り木製の十字架に記された墓があります。1942年4月にフラーテリ沖の海岸で発見された遺体を埋葬したものです。

この「名の知れぬ」ご遺体が第二次大戦にノルウェー海軍兵として従軍していたSigurds Arvids Nilsensシーグルズ・アルヴィズ・ニルセンさんであると、ノルウェー政府が公式に伝えたというのです。

記事はシーグルズさんの甥に当たるOdd-Arne Berg-Hannsenオッド-アルネ ベルグ-ハンセンさんによる話しに依っていますが、オッド-アルネさんの母イングリッドさんがシーグルズさんの三つ下の妹。残念ながらイングリッドさんはすでに亡くなられています。

「名の知れぬ船員」であったシーグルズさんは1918年生まれで、妹のイングリッドさんは1921年生まれ。シモンさんとエルドフリーザさんという方がご両親だったそうです。

第二次世界大戦が始まると、1940年にヒトラードイツはデンマーク、ノルウェーに侵攻。両国を占領下に置きますが、ノルウェーは臨時亡命政府を立てて抗戦を続けます。

シーグルズさんはDS Fanefjeldという船名の輸送船に対空砲撃手として従軍していました。DS Fanefeldは、1942年4月9日にフラーテリ沖の海洋でドイツの潜水艦の魚雷により撃沈させられました。

翌日、フラーテリの漁港を出たアイスランド漁船Ingolfur Arnarson IS501 のクルーが、ノルウェー海軍の軍服を着たご遺体を発見し収容。救命浮き輪にはFANEFJ... の文字が読み取れたそうです。




フラーテリにあるシーグルズさんの墓碑
Myndin er ur Mbl.is


ご遺体は同年4月17日に「名の知れぬ船員」としてフラーテリの墓地に埋葬されました。後に毎年6月の第一日曜日が「船員(漁民)の日」として制定されると、お墓には毎年この日に花が添えられるようになりました。

この「名の知れぬ船員」がシーグルズさんであると、今回正式に確認されたわけです。享年僅か23歳。

「母(シーグルズさんの妹)とは何度も叔父さんのことを話しましたよ。母は当時、できるだけの情報を得ようと走り回ったのですが、成果はありませんでした」とオッド-アルネさん。

「だから今回、今になってノルウェー政府が公式に知らせてきてくれたことに驚いていますし、同時に嬉しくもあります。家族は長い間、真相を探し求めてきたのですから」

オッド-アルネさん自身は現在72歳。妻のアンネ-カーリさんとノルウェー西海岸のHoreyヒュレイという町で暮らしています。船長として働いていましたが、今は引退しているそうです。




フラーテリの町
Myndin er ur Westfjordur.is


ノルウェー政府(あるいは海軍?)は、「名の知れぬ船員」と記された木製の墓碑に代えて、きちんとSigurds Arvids Nilsensと氏名の記された墓石を準備中で、来年の夏にフラーテリの墓地に設置する予定です。

オッド-アルネさんと家族もその際の式典に参加する予定とのこと。

「私たちはフラーテリの人々にとれも感謝していますよ。叔父さんにきちんとした敬意を持ち続けてくれて。そうでなかったら、私たちは永遠に叔父さんの運命を知ることがなかったでしょうから」

短い記事ですが、なぜ今までご遺体の公式な確認がなされなかったのか?どのような経緯で今回ことが動き出したのか?というようなことは説明されていません。

これがアイスランド的だと思うのですが、そういうようなことよりは、「名の知れぬ船員」が名をもったノルウェー海軍の船乗りとして、きちんと墓碑を得ること、そこに家族が墓参することができるようになること、が関心の的であるようです。

戦争という大きな嵐の後の残滓の一端なのでしょうが、哀しいものがありますね。僅か23歳ですよ。

今起こっている、ウクライナでの戦争やパレスチナでの戦闘。一体どれだけの同じような哀しい出来事が作られているのかと考えると、たまらないものがあります。

世界が落ち着いてくれることを願って止みません。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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