こんにちは/こんばんは。
どうもここのところ、落ち着いてブログを書く時間が取れず相変わらずの二週間ぶりくらいの更新になってしまいました。空き時間というものは、そこここで生じるのですが、昭和なワタシはオフィスではブログを書く気分にはなれません。やはり自宅でないと。
その間に早くもアイスランドは受難節に入ってしまいました。受難節というのは、キリスト教の宗教的な暦の一部でキリストが十字架にかかるまでの途往きを偲ぶ期間です。

清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Jonatan_Pie@unsplash_com
今「早くも」と書きました。何度も何度も書き過ぎているのは承知していますが、時が経つのが「早い」のです。私の同年代の皆さんなら同じように感じられている方は多いことでしょう。
この間、日本のバラエティを観ていて知ったのですが(何か雑学を披露しあう番組)、この「時が経つ早さ」についてきちんとした心理学的説明があるのだそうです。「ジャネの法則」というのだそうな。知らんかった。
19世紀のフランスの哲学者ポール・ジャネさんが考えつき、その甥の心理学者のピエール・ジャネさんが「記憶の進化と時間観念」という本で紹介したものだそうです。1929年のこと。そんなに前からあるんか?無知無学でした...(恥)
この辺Wikipediaの受け売りになりますが、この法則は「簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例すると主張したもの」だそうです。
どういうことかというと「例えば、60歳の人間にとって1年の長さは人生の60分の1であるが、6歳の人間にとっては6分の1であり、主観的に感じる年月の長さは歳をとるほど短くなる(時間が早く過ぎると感じる)」
ジャネの法則 Wikipedia

自宅近所 遥かにスナイフェトゥルネスの氷河を臨む
Pic by Me
つまり、六歳児にとっては一年間という月日は自分のそれまでの人生の六分の一を占めやます。時間的な比率にして約17%に達します。かたや今現在六十六歳の私にとっては一年間は六十六分の一に過ぎず、比率も2%に過ぎません。
そういうことから、年齢がかさむほど例えば「一年間」という単位の時間の経過が「早く」感じられるのだそうです。あくまでも「感じられる」という心理的な現象です。
専門的には、いろいろと補足・訂正や異論もあるらしいのですが、でもなんとなく納得してしまいますよね。おいら、単純だからかな?
小学校の3、4年生くらいの時って、本当に一年が果てしない長さに思えましたよね。だいたい「一日」が長かったよな。だから「二十歳になる」ことなんて、遥か未来のことと考えていたことは覚えています。
でも二十歳から四十歳までの二十年間は、そこまで果てしない長さではなかったですし、そこから先の二十年、いや現在までの二十六年なんて小学生時代の「一学期」くらいのものでしかない気がします。
ようやくそのように感じてしまう原因というか理由がわかった気がします。ジャネさん、ありがとうございます。
ですが、この法則によればひとつ歳を取る度に「早さ」は増していくわけですから、来年のワタシの「一年」は今年の「一年」よりも早くなり、さらに翌々年はますます「早く」なるわけですね。ちょっとヤバい気がするんですけど。(^-^;
脱線しますが、「朝早く起きた」は当然「早く」と書きますよね。「時が経つのがハヤい」は「早い」なのか「速い」なのか迷い調べました。
時間の経過そのものが「ハヤい」か遅いかは、基本的に心理的な事象にすぎず、実際に時間の流れが「速く」なったり遅くなったりするわけではないので、「早い」とすべきだそうです。なるほど。日本語、奥が深いです。

教会の天窓越しの十字架
Pic ny Me
ところで「時の流れの早さ」について、ちょっと思いついたことがあります。ジャネさんの法則によって、例えば年末に「今年は早く過ぎたなあ」と思えることの理由は説明できる気はします。
ですが、私がこの二、三週間で感じているような「時の経過の早さ」というものは、ちょっと別種のものであるような気もします。それは「ある一定の期間が早く過ぎるかそうでもないか」というよりは、「その期間が経過していることを意識していない」というものではないかと。
私、毎朝毎夕、結構な数のカプセル・錠剤を飲みます。飲まねばならぬお薬は痛風予防の一粒だけで、あとは筋トレ関係のサプリばっか。一週間分の仕分け用の「薬箱」?がふたつ、朝用と夕・晩用にキッチンに置いてあります。当然、週に一回はその薬箱にサプリを補充してやるわけですが、時折「えっ?もう空?」っていうことがあります。補充したばかりのはずだけど...?
これは人生の長さというよりは、何かに集中、没頭しているから起きることですよね。コンピューターゲームに夢中な時は時間を忘れるし(ワタシはそれはないです)、仕事が忙しい時はやはり一週間も知らぬうちに経っています。
だから仕事でも趣味でも、何か「集中・没頭」してしまうと時間は結果として「早く」過ぎてしまうことになりますよね。これは経験則として納得。
一方で、歳を重ねることにより大局的に「一年」というようなまとまった「時間」は早く流れていく。その一方で物事の集中したり没頭したりすると、その間の時間も早く流れていく。

精神鎮静用ピック
Myndin er eftir Kamil_Kalbarczyk@unsplash_com
これは「ヤバい」の二乗です。ヤバいよ、ヤバいよ。昨年の日本人男性の平均寿命は81歳。ワタシが平均寿命まで生きられるとして、あと十五年。...! たった十五年?
誕生から中学三年までの十五年だったらいいけど、六十六からの十五年とは「一年=人生の2%」よりもさらに低くなっていく比率x15ですよ。しかも、仕事を楽しんで没頭していたら、時の経過はさらに加速。
十五年なんて、おそらく四年分くらいの実感でしかないんじゃないかな?これは焦ります。歳の進行は止められません。だとしたら何かに集中したり、没頭したりすることを避けて、加速を防ぐか?
う〜ん、集中も没頭もしなければ人生そのものがつまらなくなる。いやいや、四面楚歌というか、前門の虎後門の狼というか... あ、それはチョと違うか?とにかく「明日、何をして時間を潰そうか?」と考えあぐねていた小三の頃に戻りたくなる。
ご同輩の皆さんはどのように感じられていますか?
そして若い皆さん、時の経過は加速していきます。一年は、そして一日一日も年毎日毎に短くなっていっていることをお忘れなく。
明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
これもチョと違うか?(^-^;
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
どうもここのところ、落ち着いてブログを書く時間が取れず相変わらずの二週間ぶりくらいの更新になってしまいました。空き時間というものは、そこここで生じるのですが、昭和なワタシはオフィスではブログを書く気分にはなれません。やはり自宅でないと。
その間に早くもアイスランドは受難節に入ってしまいました。受難節というのは、キリスト教の宗教的な暦の一部でキリストが十字架にかかるまでの途往きを偲ぶ期間です。

清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Jonatan_Pie@unsplash_com
今「早くも」と書きました。何度も何度も書き過ぎているのは承知していますが、時が経つのが「早い」のです。私の同年代の皆さんなら同じように感じられている方は多いことでしょう。
この間、日本のバラエティを観ていて知ったのですが(何か雑学を披露しあう番組)、この「時が経つ早さ」についてきちんとした心理学的説明があるのだそうです。「ジャネの法則」というのだそうな。知らんかった。
19世紀のフランスの哲学者ポール・ジャネさんが考えつき、その甥の心理学者のピエール・ジャネさんが「記憶の進化と時間観念」という本で紹介したものだそうです。1929年のこと。そんなに前からあるんか?無知無学でした...(恥)
この辺Wikipediaの受け売りになりますが、この法則は「簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例すると主張したもの」だそうです。
どういうことかというと「例えば、60歳の人間にとって1年の長さは人生の60分の1であるが、6歳の人間にとっては6分の1であり、主観的に感じる年月の長さは歳をとるほど短くなる(時間が早く過ぎると感じる)」
ジャネの法則 Wikipedia

自宅近所 遥かにスナイフェトゥルネスの氷河を臨む
Pic by Me
つまり、六歳児にとっては一年間という月日は自分のそれまでの人生の六分の一を占めやます。時間的な比率にして約17%に達します。かたや今現在六十六歳の私にとっては一年間は六十六分の一に過ぎず、比率も2%に過ぎません。
そういうことから、年齢がかさむほど例えば「一年間」という単位の時間の経過が「早く」感じられるのだそうです。あくまでも「感じられる」という心理的な現象です。
専門的には、いろいろと補足・訂正や異論もあるらしいのですが、でもなんとなく納得してしまいますよね。おいら、単純だからかな?
小学校の3、4年生くらいの時って、本当に一年が果てしない長さに思えましたよね。だいたい「一日」が長かったよな。だから「二十歳になる」ことなんて、遥か未来のことと考えていたことは覚えています。
でも二十歳から四十歳までの二十年間は、そこまで果てしない長さではなかったですし、そこから先の二十年、いや現在までの二十六年なんて小学生時代の「一学期」くらいのものでしかない気がします。
ようやくそのように感じてしまう原因というか理由がわかった気がします。ジャネさん、ありがとうございます。
ですが、この法則によればひとつ歳を取る度に「早さ」は増していくわけですから、来年のワタシの「一年」は今年の「一年」よりも早くなり、さらに翌々年はますます「早く」なるわけですね。ちょっとヤバい気がするんですけど。(^-^;
脱線しますが、「朝早く起きた」は当然「早く」と書きますよね。「時が経つのがハヤい」は「早い」なのか「速い」なのか迷い調べました。
時間の経過そのものが「ハヤい」か遅いかは、基本的に心理的な事象にすぎず、実際に時間の流れが「速く」なったり遅くなったりするわけではないので、「早い」とすべきだそうです。なるほど。日本語、奥が深いです。

教会の天窓越しの十字架
Pic ny Me
ところで「時の流れの早さ」について、ちょっと思いついたことがあります。ジャネさんの法則によって、例えば年末に「今年は早く過ぎたなあ」と思えることの理由は説明できる気はします。
ですが、私がこの二、三週間で感じているような「時の経過の早さ」というものは、ちょっと別種のものであるような気もします。それは「ある一定の期間が早く過ぎるかそうでもないか」というよりは、「その期間が経過していることを意識していない」というものではないかと。
私、毎朝毎夕、結構な数のカプセル・錠剤を飲みます。飲まねばならぬお薬は痛風予防の一粒だけで、あとは筋トレ関係のサプリばっか。一週間分の仕分け用の「薬箱」?がふたつ、朝用と夕・晩用にキッチンに置いてあります。当然、週に一回はその薬箱にサプリを補充してやるわけですが、時折「えっ?もう空?」っていうことがあります。補充したばかりのはずだけど...?
これは人生の長さというよりは、何かに集中、没頭しているから起きることですよね。コンピューターゲームに夢中な時は時間を忘れるし(ワタシはそれはないです)、仕事が忙しい時はやはり一週間も知らぬうちに経っています。
だから仕事でも趣味でも、何か「集中・没頭」してしまうと時間は結果として「早く」過ぎてしまうことになりますよね。これは経験則として納得。
一方で、歳を重ねることにより大局的に「一年」というようなまとまった「時間」は早く流れていく。その一方で物事の集中したり没頭したりすると、その間の時間も早く流れていく。

精神鎮静用ピック
Myndin er eftir Kamil_Kalbarczyk@unsplash_com
これは「ヤバい」の二乗です。ヤバいよ、ヤバいよ。昨年の日本人男性の平均寿命は81歳。ワタシが平均寿命まで生きられるとして、あと十五年。...! たった十五年?
誕生から中学三年までの十五年だったらいいけど、六十六からの十五年とは「一年=人生の2%」よりもさらに低くなっていく比率x15ですよ。しかも、仕事を楽しんで没頭していたら、時の経過はさらに加速。
十五年なんて、おそらく四年分くらいの実感でしかないんじゃないかな?これは焦ります。歳の進行は止められません。だとしたら何かに集中したり、没頭したりすることを避けて、加速を防ぐか?
う〜ん、集中も没頭もしなければ人生そのものがつまらなくなる。いやいや、四面楚歌というか、前門の虎後門の狼というか... あ、それはチョと違うか?とにかく「明日、何をして時間を潰そうか?」と考えあぐねていた小三の頃に戻りたくなる。
ご同輩の皆さんはどのように感じられていますか?
そして若い皆さん、時の経過は加速していきます。一年は、そして一日一日も年毎日毎に短くなっていっていることをお忘れなく。
明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
これもチョと違うか?(^-^;
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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