大昔から無くならない戦争もですが、教育も行ったり来たり繰り返されているのかな。。。。と感じる今日この頃。
教育について綴ってみたいことがいくつかあるので、新しくカテゴリーを追加してみました
私自身、ここ数年オンタリオ州の幼児教育について学ぶ中で、今の教育観を確立するまでには 当時の教育者達が世界中の多くの教育について調査分析をした経緯があり、その中で 「学びの主役は子供。そして子供は自ら学ぶ力を持ち、遊びを通して学ぶ」方針を固めた事を知り、その為に幼児教育者がするべき立ち位置と役割。そんな部分にとても共感を得ています。
自信を持って、オンタリオ州の幼児教育方針は良い!と私は言いたいのですが。。。
キンダー以降を教えられる先生達が持っている教育観とズレがあるのかもしれない。。。。と、思う経験もいくつかありました。
今の大学生達がキンダーだった頃から、オンタリオ州の幼児教育は少しずつ移行期に入り、9年生達がキンダーの頃から、「遊びから学ぶ」という主旨での教育方法で、小学生達と同じ時間帯で、毎日1日学校へいく幼児教育がスタートしました。
その頃から、幼児教育者:Early Childhood Educator ( ECE )も教育委員会で正規採用となり、クラスは教員とECEの2名体制でそれは今も変わらず。(でも、、そのお給料の差はびっくりがっかりなんだけどね。。。。)
長男と次男がキンダーだった頃の教室環境はボランティアや訪問日に見た印象だと、ECEが学んだ幼児教育の環境設定がされていて、子ども達は様々な活動をその教室内や校庭で取り組める。一人になりたい時用の空間なども用意されていました。
ボランティアで入った時も、子ども達と話したり、その遊びに手伝いが必要な際にサポートしてほしい。というような要望だった記憶。
でも、私が最近実習で行った先では、20名ほどの生徒達に、大人4人(保護者ボランティア、教員実習の生徒、クラスの先生と私(クラスのECEが休憩中)がいた環境下で、子ども達の活動に目を向け、そこに共感したりしていた大人は私だけでした。他の大人達は各テーブルに子ども達を数人呼び、印刷されたプリントにアルファベットの練習を取り組ませていたんですよね。。。別にそれが悪い事とは言わないけれど(そういった活動が好きな子もいるしね)。でもせっかく大人達がたくさんいるのに、子ども達がそれぞれの場所で色々試行錯誤したり、工夫したり、夢中になってる活動があるのに、それに気がついてもらえないような勿体無い気がしてしまったのです。「子供は遊びが学び」が理解されていないように感じてしまいました。
先生達は目の前のプリント作業をする子達に注目している事が多いため、子供に注意が行くのは、何か争いごとが勃発した時が多い。。。
なんか勿体無いよね。。。。
また、幼児教育の発達の1つで大事とされている事に社会性の発達があります。それには感情の理解、表現、自分と相手への尊重、適切な言動を身につける、必要な助けを伝えられるなど 自分と感覚が異なる人を相手に自分の意見が伝えられ、相手の事も尊重できる力を身につけるというのは、一筋縄ではいかない根気のいるアプローチ。中にはそれらがとても苦手な子達もいます。また、なかなか気持ちを切り替えられない子もいる。これに関しても、ECEの先生との方が、子供の素行に対しての理解や、小さな変化への共感が同じような目線で感じられた事も印象的でした。もう1人の先生も決して悪い先生ではなかったのですけどね。
また、幼児教育の発達の1つで大事とされている事に社会性の発達があります。それには感情の理解、表現、自分と相手への尊重、適切な言動を身につける、必要な助けを伝えられるなど 自分と感覚が異なる人を相手に自分の意見が伝えられ、相手の事も尊重できる力を身につけるというのは、一筋縄ではいかない根気のいるアプローチ。中にはそれらがとても苦手な子達もいます。また、なかなか気持ちを切り替えられない子もいる。これに関しても、ECEの先生との方が、子供の素行に対しての理解や、小さな変化への共感が同じような目線で感じられた事も印象的でした。もう1人の先生も決して悪い先生ではなかったのですけどね。
それに、息子達のキンダーの先生達はみなさん共感力があり、子供目線のアプローチをしてくださっていた記憶なので、何かね、教育委員会の方からくる方針や、校長先生の考え方によって 最近のキンダー以降の学年を教えられる先生達の教育観が少し前の世代で一般的だった方法に逆戻りをしているように感じたのです。 これは現場の先生達も感じている様子でした
学校という組織の中では、教育委員会や校長先生の方針に従わなくてはならないのでしょうね。。。
でも、代行のECEとして採用される際の募集要項には 「遊びから学ぶアプローチ」を求められているような内容だった為、この統一感のなさは、何なんだろう。。。
今後、オンタリオ州のキンダーガーデンの教育はどういう方向性にいくのだろうか。。。10年前の移行期逆バージョンの時期が巡ってきているのだろうか。。。
ECEとしての大ボス?は、その資格登録や更新をするCollege of Early Childhood Educatorsという機関だと思うので、そこの方針=ECEとなる為に学んだ事から得た信念を仕事に反映することが大切になると思うのですが、学校という組織と教育観が統一されていない場合、学校で働くECEはどうする事が良いのか。。。
先日代行で行った先では、敷地内の小さな森で遊ぶ際に「枝を拾ってはならない」という新しい決まり事ができていて、驚きました。校長先生からの指示だそうです。
誰か大怪我でもしたのか聞いてみたら、ご近所トラブルがあったとのこと。
この場合、私だったら遊ぶ前に「枝を持ったまま走っても良いのか」「枝を誰かに向けたり、武器のように使用しても良いのか」「枝を近所の敷地に投げ入れるのは良い事か」
これらは全部答えは「NO」であり、そこには子供自身の安全、近所に済む家族の安心安全に関係のある行動であり、子供自身に質問から考えさせ「してはならない」と理解させた上で、例えば拾った枝を見たて遊びに使ったり、創作物を作ったり、それで文字を作ったり、そんな活動に「枝を拾い集めて使う」事はむしろ子供の発達には適切な使用方法であり、「枝を拾う事を禁止」というのは度が行き過ぎる判断だと私は思ったのです。その日だけ行く先なので、何も言いませんでしたけど。
仮に、そういった会話をした後に、枝を持って走ったり、投げようとしていた子がいたら「あれ?〜はしていいんだっけ?」と聞けば よほど理解度や行動制限に問題を抱える子でない限り、動きを止めます
そんなもやもやを感じつつも、私が出会ったECEの方達の中には、お手本にしたいような教育観でお仕事をされている方達にも出会えて、その労力にマジで賃金もっとあげるべき!!と思ってなりません。
子供の主体性を重んじながら「遊びから学ぶための環境づくり」は、その発想力もですが、教育者自身も情報収集や交換をしたり、試行錯誤する経験の中で積み上げていける部分でもあると思うので、各ECEの方達が持つバリエーションの量によっても、できる事が変わってくるのかもしれません。だからこそ、私はその出会ったECEの方達が、私に惜しみなく色々見せてくれたり、話を聞かせてくれたように、その取り組んでいる事を、学校内や地域、ご家族にも もっと共有して、子供が遊びから何を学んでいるのかへの理解が広がったらいいのに。。と密かに願っています。
私自身も、自分が良いと感じた教育観をもっともっと向上させて、実践レベルにしていきたいし、実践してみて良かった事は共有したいと感じている今日この頃です