3月6日に放送された番組の話を今頃記事にします。東日本大震災がらみです。震災後10年ということもあって、震災関連番組はニュースも含め、いやというほど放送されましたので震災漬けで頭が回りませんでした。そんななか、やっと落ち着いて見たのがBSフジ開局20周年企画『甦れ!東北の鉄路 2021 検証 東日本大震災から10年』でした。
もともとが震災関連番組というよりも鉄道番組として録画しましたので、見るのがこんなに遅れちゃったのですね。でも見応えがありました。番組は中村雅俊がナビゲーターとして進行していきます。第一部は『鉄路が支えた町の復興 女川町の10年』。
恥ずかしながら、この番組を見るまで中村雅俊が女川町出身とは知りませんでした。それまで女川といえば原発に勤めていたサイクリングのネット仲間.と株主優待の海産物でしたから目からウロコでした。

女川はJR石巻線の終点でした。震災被害で廃線の危機になりましたが、粘り強い運動で復活しました。住民は高台に移転しましたが、駅は以前の場所より200mほど内陸側の町のど真ん中に作られました。駅の隣にはトレーラーハウスを宿泊施設としたホテルも作られ、駅舎の飲食施設など相まって観光客を受け入れやすい体制になっています。鉄路が復興を支えたケースですが、それでも町の人口は震災前の2/3に減っています。
第二部は『廃線の危機を救ったのは三陸鉄道の10年』。
三陸鉄道は朝ドラ『あまちゃん』の舞台にもなりました。震災前の三陸鉄道には中段の写真にあるように宮古から北と釜石から南に路線があり、宮古・釜石間にはJR山田線がありました。

震災後の復興に際しJRは鉄路を廃止してBRT(バス高速輸送システム)への転換を提案してきました。関係市町村はこれを拒否、度重なる交渉の結果、JRが鉄路を復興して三陸鉄道に無償譲渡するという驚きの提案がなされました。
もともとJR山田線があるため効率の悪い運用をしてきた三陸鉄道にとっても「渡りに船」でした。こうして青森の久慈駅から岩手の盛駅までのリアス線がつながりました。そしてラグビーワールドカップ釜石での試合への観客輸送にも大活躍しました。
第三部は『JRが消えた町 岩手 大船渡 陸前高田 宮城 気仙沼』。
この番組の肝みたいな部分です。三陸鉄道の盛駅から南にはJR大船渡線があり、気仙沼から南にはJR気仙沼線がありました。

震災後、沿線市町村の懇願にも関わらず、それらは全て廃線となりBRT(バス高速輸送システム)になってしまいました。銘菓「鴎の玉子」の大船渡。奇跡の一本松の陸前高田。森進一の『港町ブルース』にも歌われた気仙沼、ここは俳優・村上弘明の出身地です。出ていた市町村長さんのひとりが言っておられました。
「BRTは民間のバスと変わらない。鉄道のなくなった町はすたれていく。」
ほんと、そんな港町がすたれていくのは寂しいです。
第四部は『鉄路が戻った町 岩手 山田町』。
JR山田線があった町です。三陸鉄道が通ることになりました。

山田町は復興にあたりコンパクトシティを目指し、駅を中心とした街づくりをします。中心部に復興住宅や高齢者施設、金融機関などを集中させ、便利で住みやすい街にしたそうです。
第五部は『町とともに移った鉄路 仙石線 野蒜のびる』。
JR仙石線は石巻・仙台間にある路線です。

復興にあたっては町ごと高台に移る計画が立てられ、それとともに海べりにあった鉄路も高台に路線変更するようJRに要望。線路用地の取得を町に一任した結果、新駅も高台に移るという画期的な成果になりました。
第六部は『原発事故の鉄路と町 福島 富岡町 大熊町 双葉町』

かなりの部分が帰宅困難地域などの話でしたが、JR常磐線が通る地域であるため、大熊町など無人駅なのに特急が止まったり、それなりに恵まれています。企業誘致も進んでいますが、風評被害などで求人がなかなか集まらなくて大変だそうです。
このように震災被害地域の鉄道事情を2時間かけてやってくれました。知ってるようで知らないことも多く、被災地の現状と光と影がじっくりと見られた番組でした。
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もともとが震災関連番組というよりも鉄道番組として録画しましたので、見るのがこんなに遅れちゃったのですね。でも見応えがありました。番組は中村雅俊がナビゲーターとして進行していきます。第一部は『鉄路が支えた町の復興 女川町の10年』。
恥ずかしながら、この番組を見るまで中村雅俊が女川町出身とは知りませんでした。それまで女川といえば原発に勤めていたサイクリングのネット仲間.と株主優待の海産物でしたから目からウロコでした。

女川はJR石巻線の終点でした。震災被害で廃線の危機になりましたが、粘り強い運動で復活しました。住民は高台に移転しましたが、駅は以前の場所より200mほど内陸側の町のど真ん中に作られました。駅の隣にはトレーラーハウスを宿泊施設としたホテルも作られ、駅舎の飲食施設など相まって観光客を受け入れやすい体制になっています。鉄路が復興を支えたケースですが、それでも町の人口は震災前の2/3に減っています。
第二部は『廃線の危機を救ったのは三陸鉄道の10年』。
三陸鉄道は朝ドラ『あまちゃん』の舞台にもなりました。震災前の三陸鉄道には中段の写真にあるように宮古から北と釜石から南に路線があり、宮古・釜石間にはJR山田線がありました。

震災後の復興に際しJRは鉄路を廃止してBRT(バス高速輸送システム)への転換を提案してきました。関係市町村はこれを拒否、度重なる交渉の結果、JRが鉄路を復興して三陸鉄道に無償譲渡するという驚きの提案がなされました。
もともとJR山田線があるため効率の悪い運用をしてきた三陸鉄道にとっても「渡りに船」でした。こうして青森の久慈駅から岩手の盛駅までのリアス線がつながりました。そしてラグビーワールドカップ釜石での試合への観客輸送にも大活躍しました。
第三部は『JRが消えた町 岩手 大船渡 陸前高田 宮城 気仙沼』。
この番組の肝みたいな部分です。三陸鉄道の盛駅から南にはJR大船渡線があり、気仙沼から南にはJR気仙沼線がありました。

震災後、沿線市町村の懇願にも関わらず、それらは全て廃線となりBRT(バス高速輸送システム)になってしまいました。銘菓「鴎の玉子」の大船渡。奇跡の一本松の陸前高田。森進一の『港町ブルース』にも歌われた気仙沼、ここは俳優・村上弘明の出身地です。出ていた市町村長さんのひとりが言っておられました。
「BRTは民間のバスと変わらない。鉄道のなくなった町はすたれていく。」
ほんと、そんな港町がすたれていくのは寂しいです。
第四部は『鉄路が戻った町 岩手 山田町』。
JR山田線があった町です。三陸鉄道が通ることになりました。

山田町は復興にあたりコンパクトシティを目指し、駅を中心とした街づくりをします。中心部に復興住宅や高齢者施設、金融機関などを集中させ、便利で住みやすい街にしたそうです。
第五部は『町とともに移った鉄路 仙石線 野蒜のびる』。
JR仙石線は石巻・仙台間にある路線です。

復興にあたっては町ごと高台に移る計画が立てられ、それとともに海べりにあった鉄路も高台に路線変更するようJRに要望。線路用地の取得を町に一任した結果、新駅も高台に移るという画期的な成果になりました。
第六部は『原発事故の鉄路と町 福島 富岡町 大熊町 双葉町』

かなりの部分が帰宅困難地域などの話でしたが、JR常磐線が通る地域であるため、大熊町など無人駅なのに特急が止まったり、それなりに恵まれています。企業誘致も進んでいますが、風評被害などで求人がなかなか集まらなくて大変だそうです。
このように震災被害地域の鉄道事情を2時間かけてやってくれました。知ってるようで知らないことも多く、被災地の現状と光と影がじっくりと見られた番組でした。
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