先週、孫に会いに行ってきました。
近々「まん延防止措置」が出そうな愛知県ということもあって、孫の散歩に付き合うスタイルです。
今回は秀吉と家康が直接対決した小牧長久手の戦いの長久手古戦場に近い色金山(いろがねやま)公園に行ってきました。
下の写真にある床几石は家康が腰掛けて軍議をめぐらしたと伝えられています。
山頂に建てられた砦状の展望台の下に軍議をめぐらすレリーフがかけられていました。
小牧長久手の戦いは犬山城付近に陣取る秀吉と小牧城付近の家康が対峙し、
膠着状態になった戦況を打破しようと、秀吉側が別動隊で三河を襲撃しようとしたものです。
しかし、これを察知した家康軍が長久手で池田・森隊と堀・羽柴隊との間を分断し、
森長可、池田恒興、元助父子が打ち取られ、局地戦としては家康の勝利に終わった戦いです。
上にあげた写真の他に長久手合戦慰霊碑や合戦の解説文、そして家康方で戦死した将、伴若狭守盛兼の墓碑がありました。
数年前の大河ドラマ「女城主直虎」の舞台となった浜名湖北辺にある気賀の領主だったとのことです。
気賀の北東には井伊谷や直虎が出家した竜潭寺もあります。
盛兼は信長の家臣で伊勢亀山城主でしたが、家康の伊賀越えに協力した功労者とのことなので
井伊家とは関係ありませんでした。
しかし、思わぬところで大河ドラマのストーリーをなぞり直すことになりました。
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今回は秀吉と家康が直接対決した小牧長久手の戦いの長久手古戦場に近い色金山(いろがねやま)公園に行ってきました。
下の写真にある床几石は家康が腰掛けて軍議をめぐらしたと伝えられています。
山頂に建てられた砦状の展望台の下に軍議をめぐらすレリーフがかけられていました。
小牧長久手の戦いは犬山城付近に陣取る秀吉と小牧城付近の家康が対峙し、
膠着状態になった戦況を打破しようと、秀吉側が別動隊で三河を襲撃しようとしたものです。
しかし、これを察知した家康軍が長久手で池田・森隊と堀・羽柴隊との間を分断し、
森長可、池田恒興、元助父子が打ち取られ、局地戦としては家康の勝利に終わった戦いです。
上にあげた写真の他に長久手合戦慰霊碑や合戦の解説文、そして家康方で戦死した将、伴若狭守盛兼の墓碑がありました。
数年前の大河ドラマ「女城主直虎」の舞台となった浜名湖北辺にある気賀の領主だったとのことです。
気賀の北東には井伊谷や直虎が出家した竜潭寺もあります。
盛兼は信長の家臣で伊勢亀山城主でしたが、家康の伊賀越えに協力した功労者とのことなので
井伊家とは関係ありませんでした。
しかし、思わぬところで大河ドラマのストーリーをなぞり直すことになりました。
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