『鉄道伝説』は2013年から手を変え品を変え放送されているBSフジの鉄道歴史番組です。
なんかの偶然でこの番組を知ってから放送がある旅に録画、DVDに焼いてきたのですが、再放送も多く、最近では見たことがあるかどうか記憶が定かでなくなるヤバい状態に陥っております。
さてその『鉄道伝説』がこの4月か5月から放送が始まっていたので、とりあえず録画しておき、本日初めて見てみました。短調の物悲しいオープニングテーマとともにレールの断面をイラストにしたいつもの画面が現れました。
今日のお題は『マニ34・30形』『~極秘裏に現金を輸送せよ~』です。
『マニ34・30形』は国鉄車両などにある型式で、『モハ』や『キハ』のモは電車のモーター付きの車両だとかキはディーゼルカー(気動車)のキくらいは知ってますが、恥ずかしながら私は型式はあまり知りません。
ですから初め表題だけ見て、『お金=money』の『マニ』かと思っちゃいました。それはアバの歌ですよ (,_'☆\ バキ
旧国鉄車両には色々な企業専用車があります。下の画像のような郵便車とか石油や石灰岩を運ぶ貨車とかです。
そんな専用車のひとつで、戦後作られたものに『マニ34・30形』がありました。
戦後の著しいインフレで日本銀行は大量の紙幣を増刷したものの、日本各地の日本銀行の支店へ紙幣を送るには一般の貨車を使用していました。
しかし、その実態は大量の紙幣とともに日銀職員2名と警察官、鉄道警察官の4名が乗り合わせて何日もかけて支店のある駅まで輸送していました。窓も何もない貨車の中は夏は暑く、冬は寒く、照明もトイレも食事の設備もないので、食事やトイレは駅に泊まった時などに済ませるわけですが、乗り遅れて次の列車で追いかけるなどのトラブルなどもあり、この現金輸送は地獄だったそうです。
そこでそんな環境を改善すべく日銀と国鉄・車両メーカーの検討会議が始まりました。日銀からの要求は
『しっかりした安全対策』→『駅などで目立たない』ことでした。となると、『ごく一般的な車両に似せた外観』ということで国鉄の『マニ32形』に似せた車両をつくることになりました。
構造的には車内を3分割し、真ん中を警備室、両端を荷物室にし、車両の前後はふさいで出入りができないようする。また荷物室の窓にも工夫を施しました。
ぱっと見はふつうの窓ですが、内部の鉄板で窓をふさげるようにしました。また警備室は3段の寝台設備をセット、洗面台と調理台、トイレまで備えられていました。
私ゃ、これを見て一言。「キャンピングカーみたいやわあ!」
鉄っちゃんならいざ知らず、寝台車に乗ったことがない私にはこんな発想しかできませんでした(^_^;)
そんな『マニ34形』は昭和24年に完成しました。私ゃ、まだ生まれていません。
そして昭和53年に『マニ34形』の老朽化に伴い、作られたのが『マニ30形』です。アルミ車体で積載量のアップが可能になっているそうです。私ゃ、その2年前に銀行員になっています。
設備は同じようなものですが、寝台の形が今風になっていますし、電子レンジや冷蔵庫が備えられています。キャンカーやあ。
ところで肝心の現金ですが、最初の『マニ34形』には1400万枚積載できたそうです。当時の金額や枚数では分からないので解説します。
実は私、銀行員の後半生を同じ部署で過ごしました。業務内容は手形小切手の分類呈示、地方税の分類発送などの専門部署でした。しかし、それは表向きの顔で、ときどき別の部署に行って仕事をしてました。
それが日銀寄託でした。何かというと日銀支店のない地域で大量の現金受払をする業務です。したがって最寄りの日銀支店や金融機関の本部と紙幣のやりとりをしていました。その場では「E万券、ふたおくえんなり」などという独特の呼称方法が用いられていました。
そして、そこで使う紙幣収納箱が上の画像の荷物室に置かれたプラスチック箱でした。寄託業務から離れて8年近くなりますので、この画像を見ると懐かしさで一杯になりました。
この箱には紙幣100枚の束を10個束ねた大封(おおふう)を20束収納して施錠します。
ということは100x10x20=20,000枚収納です。
で、最初の『マニ34形』が1400万枚積載できたのですから、1400万枚÷2万枚=700箱積めたということになります。当時百円札で140億円積めたのですから、今なら幾ら積めるか皆さん計算してみてください(^_^;)
そんな現金輸送列車も現金の積み下ろしには画像のように貨物駅の一角を立ち入り禁止にして大がかりな警備体制を敷かなければなりません。それに対して現金輸送車ならパトカーの警備は付けねばならないものの、本店と支店内での受け渡しだけで済んでしまいます。
そして国鉄から移行したJR貨物でもコンテナ貨物が主流となり、貨物輸送の高速化(コキ100形、最高時速110km)に対し、最高時速95km規格の『マニ30形』を連結して運用するのは難しくなり、平成16年(2004年)に廃止が決まりました。
廃止の際、たまたま日銀小樽支店の廃店があり、小樽の手稲駅が北海道鉄道発祥の地だったこともあって、旧小樽鉄道記念館に無償譲渡することが決まりました。ちなみに旧小樽鉄道記念館には行ってますが、1990年代でしたからまだ展示されていません。
また、1977年北朝鮮拉致事件の被害者・横田めぐみさんの父、滋(しげる)さんは1951年に日本銀行の札幌支店に入行され、1993年に定年退職されています。職半ばで不幸な境遇になってしまわれましたが、若い頃に『マニ34・30形』による現金輸送に携わられたことがあったかもしれません。そう考えると非常に感慨深いものがあります。
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なんかの偶然でこの番組を知ってから放送がある旅に録画、DVDに焼いてきたのですが、再放送も多く、最近では見たことがあるかどうか記憶が定かでなくなるヤバい状態に陥っております。
さてその『鉄道伝説』がこの4月か5月から放送が始まっていたので、とりあえず録画しておき、本日初めて見てみました。短調の物悲しいオープニングテーマとともにレールの断面をイラストにしたいつもの画面が現れました。
今日のお題は『マニ34・30形』『~極秘裏に現金を輸送せよ~』です。
『マニ34・30形』は国鉄車両などにある型式で、『モハ』や『キハ』のモは電車のモーター付きの車両だとかキはディーゼルカー(気動車)のキくらいは知ってますが、恥ずかしながら私は型式はあまり知りません。
ですから初め表題だけ見て、『お金=money』の『マニ』かと思っちゃいました。それはアバの歌ですよ (,_'☆\ バキ
旧国鉄車両には色々な企業専用車があります。下の画像のような郵便車とか石油や石灰岩を運ぶ貨車とかです。
そんな専用車のひとつで、戦後作られたものに『マニ34・30形』がありました。
戦後の著しいインフレで日本銀行は大量の紙幣を増刷したものの、日本各地の日本銀行の支店へ紙幣を送るには一般の貨車を使用していました。
しかし、その実態は大量の紙幣とともに日銀職員2名と警察官、鉄道警察官の4名が乗り合わせて何日もかけて支店のある駅まで輸送していました。窓も何もない貨車の中は夏は暑く、冬は寒く、照明もトイレも食事の設備もないので、食事やトイレは駅に泊まった時などに済ませるわけですが、乗り遅れて次の列車で追いかけるなどのトラブルなどもあり、この現金輸送は地獄だったそうです。
そこでそんな環境を改善すべく日銀と国鉄・車両メーカーの検討会議が始まりました。日銀からの要求は
『しっかりした安全対策』→『駅などで目立たない』ことでした。となると、『ごく一般的な車両に似せた外観』ということで国鉄の『マニ32形』に似せた車両をつくることになりました。
構造的には車内を3分割し、真ん中を警備室、両端を荷物室にし、車両の前後はふさいで出入りができないようする。また荷物室の窓にも工夫を施しました。
ぱっと見はふつうの窓ですが、内部の鉄板で窓をふさげるようにしました。また警備室は3段の寝台設備をセット、洗面台と調理台、トイレまで備えられていました。
私ゃ、これを見て一言。「キャンピングカーみたいやわあ!」
鉄っちゃんならいざ知らず、寝台車に乗ったことがない私にはこんな発想しかできませんでした(^_^;)
そんな『マニ34形』は昭和24年に完成しました。私ゃ、まだ生まれていません。
そして昭和53年に『マニ34形』の老朽化に伴い、作られたのが『マニ30形』です。アルミ車体で積載量のアップが可能になっているそうです。私ゃ、その2年前に銀行員になっています。
設備は同じようなものですが、寝台の形が今風になっていますし、電子レンジや冷蔵庫が備えられています。キャンカーやあ。
ところで肝心の現金ですが、最初の『マニ34形』には1400万枚積載できたそうです。当時の金額や枚数では分からないので解説します。
実は私、銀行員の後半生を同じ部署で過ごしました。業務内容は手形小切手の分類呈示、地方税の分類発送などの専門部署でした。しかし、それは表向きの顔で、ときどき別の部署に行って仕事をしてました。
それが日銀寄託でした。何かというと日銀支店のない地域で大量の現金受払をする業務です。したがって最寄りの日銀支店や金融機関の本部と紙幣のやりとりをしていました。その場では「E万券、ふたおくえんなり」などという独特の呼称方法が用いられていました。
そして、そこで使う紙幣収納箱が上の画像の荷物室に置かれたプラスチック箱でした。寄託業務から離れて8年近くなりますので、この画像を見ると懐かしさで一杯になりました。
この箱には紙幣100枚の束を10個束ねた大封(おおふう)を20束収納して施錠します。
ということは100x10x20=20,000枚収納です。
で、最初の『マニ34形』が1400万枚積載できたのですから、1400万枚÷2万枚=700箱積めたということになります。当時百円札で140億円積めたのですから、今なら幾ら積めるか皆さん計算してみてください(^_^;)
そんな現金輸送列車も現金の積み下ろしには画像のように貨物駅の一角を立ち入り禁止にして大がかりな警備体制を敷かなければなりません。それに対して現金輸送車ならパトカーの警備は付けねばならないものの、本店と支店内での受け渡しだけで済んでしまいます。
そして国鉄から移行したJR貨物でもコンテナ貨物が主流となり、貨物輸送の高速化(コキ100形、最高時速110km)に対し、最高時速95km規格の『マニ30形』を連結して運用するのは難しくなり、平成16年(2004年)に廃止が決まりました。
廃止の際、たまたま日銀小樽支店の廃店があり、小樽の手稲駅が北海道鉄道発祥の地だったこともあって、旧小樽鉄道記念館に無償譲渡することが決まりました。ちなみに旧小樽鉄道記念館には行ってますが、1990年代でしたからまだ展示されていません。
また、1977年北朝鮮拉致事件の被害者・横田めぐみさんの父、滋(しげる)さんは1951年に日本銀行の札幌支店に入行され、1993年に定年退職されています。職半ばで不幸な境遇になってしまわれましたが、若い頃に『マニ34・30形』による現金輸送に携わられたことがあったかもしれません。そう考えると非常に感慨深いものがあります。
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いきなり度肝を抜くかのように「糞尿輸送列車」が出てきたのに仰天しました。大手の西武鉄道だったと思います。
(お食事中でしたらごめんなさいです。)
純粋な鉄っちゃんなら知っていたかもわかりませんが、
後から知って驚きます>
「糞尿輸送列車」もビックリですね。
尾瀬の「糞尿ヘリコプター」に匹敵します。
もっとも昔の鉄道は垂れ流し列車ばかりでしたから
考えられない話ではないです。
もう一つの糞尿輸送列車は「おわい列車」て言われてたそうですね。それと、昔の汽車のトイレには「停車中には使わないで。」と貼ってありました。そやのに、タレそうなんか、マナーが無いのか、ホームに立つと線路横に現物が落ちてました。
当然、業務用限定なんでしょうけど。
漢字では「汚穢」。汲み取りトイレ時代の用語らしいですね。
「現金の小包」はさすがに知りません。
しかし現金と同じようなという意味で「税金の納付書・済通知書」「手形・小切手」は「書留」とか「特定記録郵便」で送ってましたよ。