以前、テレビで鳥取砂丘の開拓と保護の番組を放送していました。
2011年7月、鳥取砂丘の近所の柳茶屋キャンプ場でキャンプしたので、
関心を持って視聴しました。
砂丘の中に草が生えてきて、砂丘が小さくなってしまうなぁ。。。
などとのんびりしたことを考えていましたが、とても長い歴史の中で、
鳥取砂丘の開拓と保護のせめぎ合いが刻まれてきたのを知りました。
観光のためという狭い了見で、表面的な綺麗さを求めるのでなく、
自然そのものが持つ美しさを保つのは本当に難しいです。
人間が近づく時から、自然破壊は始まります。
里山保護のために保護派の人たちが足を踏む入れたことにより、
草木が踏み荒らされ、自然が破壊されてしまったという事例もあるようです。
小笠原など自然と観光を調和させる所は、外からの植物や動物などが持ち込まれないよう、
島に上陸する際に、防御の処置を受けるようになっています。
自然を守るためには、人が立ち寄らないことがベストなのでしょうが、
自然と人との調和を考え、規制をバランスよく図ることが大切なのでしょう。
※鳥取砂丘 - Wikipedia
■開拓派
・佐々木甚蔵
95年前、砂防林推進者 地元43軒の組合長
砂丘の東側に砂防工事、10年で8haの松林植林
明治35年鳥取砂丘東部の多鯰(たね)ケ池周辺の山林を開墾し、
梨・柿などの果樹栽培をはじめる。
大正6年からは隣接する福部地区の海岸砂防事業に力をつくした。
何度もの植林失敗にもめげす、地元住民を奮い起こし、
ついには砂丘ラッキョウの大産地の基礎を作った。
その他、鳥取砂丘の開拓では、夫婦で砂丘に移り住み、私財をなげうち植林を続けた
豪商の船越作左衛門、遠くの川から水を引こうと、自分の田畑を売ってでも
用水路工事を続けた桝田新蔵。砂丘を桑畑にしようとした上山吉次などがいる。
・原勝
鳥取高農(現鳥取大農学部)教授、鳥取大付属砂丘利用研究施設長。
砂防工事研究者、柵を利用、1/3以上が林に変化
鳥取砂丘の緑化と砂防の研究をすすめ、砂防林・砂防垣の実用化に取組み、
砂丘地農業への道を拓いた。
地球環境の問題が大きく取り上げられているが、
その一環として沙漠化の防止・緑化の保全などの課題解決に貢献
■保護派
・吉田璋也
医師でありながら、民芸品の制作、流通、普及に努める。
民藝関係の団体を組織し、戦後の民藝運動の礎を確立し、暮らしの中の「美」の存在を主張。
昭和25年に原勝を訪問し、開拓見直しを迫るも拒否される。
昭和30年に砂丘の中心部113haが天然記念物に指定、
昭和38年に国立公園の特別保護地区に指定され、
平成21年4月1日から鳥取砂丘を皆で一緒に大切に守り、
後世へと継承するため、 「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」が施行されました。
・「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」
「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」【前文】
鳥取砂丘は、千代川及び日本海の浸食・堆積作用と季節風の吹寄せ力により形成された我が国最大級の海岸砂丘であり、スリバチ、風紋、砂れん等独特の地形や起伏に富んだ景観で知られ、ハマゴウなど固有の砂丘植物も自生する貴重な自然を有する地域である。
しかし、この独特な自然は、長らく鳥取砂丘に人の手が加わるのを妨げたのみならず、周辺に飛砂等の被害をもたらし、それに対抗するため、先人達は多大な労苦と工夫を積み重ねてきた。こうした努力の結果、飛砂防備保安林等が整備されて周辺の農業利用等が進み、本来の姿を留める地域が急速に狭まる中にあっても、鳥取砂丘独特の風物は多くの人々を魅了し、様々な文人墨客が訪れ、文芸作品の舞台等にもなった。
そうした貴重な自然を保護し、人々の保健、休養等に資するべく、本来の姿が保たれている地域を中心に、昭和30年に国指定天然記念物、昭和38年に山陰海岸国立公園の区域に指定された。
しかるに、最近ではその区域内においても砂丘利用者のマナー低下等によりゴミのポイ捨てや砂丘斜面への落書きは後を絶たず、河川、港湾等の整備により砂の供給が減少するとともに、保安林整備等の影響で草原化が進むなど、従来の手法による自然保護の限界を感じさせる事態も生じている。
これに対して、県民参加による鳥取砂丘の除草活動や清掃活動、千代川河口等のしゅんせつ砂を砂丘沖合に供給する事業など、鳥取砂丘の再生を目指す取組が活発化している。また、乾燥地農業の研究拠点が整備され、砂にまつわる文化的な催しも実施されるなど、地域特性を生かした新しい価値や情報の創出と発信の拠点ともなってきている。
このように、鳥取砂丘は、貴重な自然を有するのみならず、先人の努力により特色ある産業・文化活動、学術研究等の拠点ともなっており、非常に多面的な価値を有する県民共有の財産であり、世界に誇れる本県の至宝とも言うべき存在である。
従来の環境保全手法の限界も指摘される中で、これを後世に守り伝えていく上で大切なのは、砂丘利用者一人一人が鳥取砂丘の持つ独特の風物への愛着と畏敬の念を共有して節度ある利用に努めるとともに、協力し、連携し合って、自然を守り育てていくことである。
これらが県民を始めとするすべての砂丘利用者が次世代に対して担う責務であるとの認識の下に、人々の協働により鳥取砂丘の保全と再生を推進し、適切な利用を増進することを通じて、その多面的価値の向上を図り、もって貴重な自然を守りつつ社会・経済を発展させてきた本県の象徴として、鳥取砂丘の優れた環境を次世代に確実に引き継いでいくため、この条例を制定する。
2011年7月、鳥取砂丘の近所の柳茶屋キャンプ場でキャンプしたので、
関心を持って視聴しました。
砂丘の中に草が生えてきて、砂丘が小さくなってしまうなぁ。。。
などとのんびりしたことを考えていましたが、とても長い歴史の中で、
鳥取砂丘の開拓と保護のせめぎ合いが刻まれてきたのを知りました。
観光のためという狭い了見で、表面的な綺麗さを求めるのでなく、
自然そのものが持つ美しさを保つのは本当に難しいです。
人間が近づく時から、自然破壊は始まります。
里山保護のために保護派の人たちが足を踏む入れたことにより、
草木が踏み荒らされ、自然が破壊されてしまったという事例もあるようです。
小笠原など自然と観光を調和させる所は、外からの植物や動物などが持ち込まれないよう、
島に上陸する際に、防御の処置を受けるようになっています。
自然を守るためには、人が立ち寄らないことがベストなのでしょうが、
自然と人との調和を考え、規制をバランスよく図ることが大切なのでしょう。
※鳥取砂丘 - Wikipedia
■開拓派
・佐々木甚蔵
95年前、砂防林推進者 地元43軒の組合長
砂丘の東側に砂防工事、10年で8haの松林植林
明治35年鳥取砂丘東部の多鯰(たね)ケ池周辺の山林を開墾し、
梨・柿などの果樹栽培をはじめる。
大正6年からは隣接する福部地区の海岸砂防事業に力をつくした。
何度もの植林失敗にもめげす、地元住民を奮い起こし、
ついには砂丘ラッキョウの大産地の基礎を作った。
その他、鳥取砂丘の開拓では、夫婦で砂丘に移り住み、私財をなげうち植林を続けた
豪商の船越作左衛門、遠くの川から水を引こうと、自分の田畑を売ってでも
用水路工事を続けた桝田新蔵。砂丘を桑畑にしようとした上山吉次などがいる。
・原勝
鳥取高農(現鳥取大農学部)教授、鳥取大付属砂丘利用研究施設長。
砂防工事研究者、柵を利用、1/3以上が林に変化
鳥取砂丘の緑化と砂防の研究をすすめ、砂防林・砂防垣の実用化に取組み、
砂丘地農業への道を拓いた。
地球環境の問題が大きく取り上げられているが、
その一環として沙漠化の防止・緑化の保全などの課題解決に貢献
■保護派
・吉田璋也
医師でありながら、民芸品の制作、流通、普及に努める。
民藝関係の団体を組織し、戦後の民藝運動の礎を確立し、暮らしの中の「美」の存在を主張。
昭和25年に原勝を訪問し、開拓見直しを迫るも拒否される。
昭和30年に砂丘の中心部113haが天然記念物に指定、
昭和38年に国立公園の特別保護地区に指定され、
平成21年4月1日から鳥取砂丘を皆で一緒に大切に守り、
後世へと継承するため、 「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」が施行されました。
・「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」
「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」【前文】
鳥取砂丘は、千代川及び日本海の浸食・堆積作用と季節風の吹寄せ力により形成された我が国最大級の海岸砂丘であり、スリバチ、風紋、砂れん等独特の地形や起伏に富んだ景観で知られ、ハマゴウなど固有の砂丘植物も自生する貴重な自然を有する地域である。
しかし、この独特な自然は、長らく鳥取砂丘に人の手が加わるのを妨げたのみならず、周辺に飛砂等の被害をもたらし、それに対抗するため、先人達は多大な労苦と工夫を積み重ねてきた。こうした努力の結果、飛砂防備保安林等が整備されて周辺の農業利用等が進み、本来の姿を留める地域が急速に狭まる中にあっても、鳥取砂丘独特の風物は多くの人々を魅了し、様々な文人墨客が訪れ、文芸作品の舞台等にもなった。
そうした貴重な自然を保護し、人々の保健、休養等に資するべく、本来の姿が保たれている地域を中心に、昭和30年に国指定天然記念物、昭和38年に山陰海岸国立公園の区域に指定された。
しかるに、最近ではその区域内においても砂丘利用者のマナー低下等によりゴミのポイ捨てや砂丘斜面への落書きは後を絶たず、河川、港湾等の整備により砂の供給が減少するとともに、保安林整備等の影響で草原化が進むなど、従来の手法による自然保護の限界を感じさせる事態も生じている。
これに対して、県民参加による鳥取砂丘の除草活動や清掃活動、千代川河口等のしゅんせつ砂を砂丘沖合に供給する事業など、鳥取砂丘の再生を目指す取組が活発化している。また、乾燥地農業の研究拠点が整備され、砂にまつわる文化的な催しも実施されるなど、地域特性を生かした新しい価値や情報の創出と発信の拠点ともなってきている。
このように、鳥取砂丘は、貴重な自然を有するのみならず、先人の努力により特色ある産業・文化活動、学術研究等の拠点ともなっており、非常に多面的な価値を有する県民共有の財産であり、世界に誇れる本県の至宝とも言うべき存在である。
従来の環境保全手法の限界も指摘される中で、これを後世に守り伝えていく上で大切なのは、砂丘利用者一人一人が鳥取砂丘の持つ独特の風物への愛着と畏敬の念を共有して節度ある利用に努めるとともに、協力し、連携し合って、自然を守り育てていくことである。
これらが県民を始めとするすべての砂丘利用者が次世代に対して担う責務であるとの認識の下に、人々の協働により鳥取砂丘の保全と再生を推進し、適切な利用を増進することを通じて、その多面的価値の向上を図り、もって貴重な自然を守りつつ社会・経済を発展させてきた本県の象徴として、鳥取砂丘の優れた環境を次世代に確実に引き継いでいくため、この条例を制定する。