融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2018年12月15日 | 礼拝のご案内

 明日12月16日(日)は、第3アドヴェントです。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝があります。メッセージは「泊まる場所がなかった」、讃美歌は「主を待ち望むアドヴェント」の3番、「今こそ声あげ」、「喜びはむねに」です。礼拝後には、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 今週は、火曜日と本日土曜日を除いて雨模様の日が続きました。丁度、お天気の良かった火曜日に冬タイヤの交換ができましたので、良かったと思います。

 地域の方々も、クリスマスイヴ賛美の集いの合唱練習のために集まってくださっていることを感謝しています。クリスマス行事の義務とか責任とかではなく、それぞれが合唱をやって楽しかったと思われ、来てくださる地域の方々も楽しいと思われるようなクリスマスイヴ賛美の集いであればと願っています。

 世の中が少子高齢化のように、浜坂教会も少子高齢化しています。私も「若さ」(バカさは相変わらずですが)が乏しくなったのか、作業をした後の疲れを感じたりしています。年度途中に若い方が来られるようになりましたので、これからの活躍を期待しています。まわりが高齢者ばかりで、教師も高齢だと色々と遠慮もあるのかも知れませんので、将来のことを思うと若い教師の方が良いのかも知れません。引き際も考えないと・・・。

 去年の今頃は、平地でも薄らと雪が積もっていたように思います。まだ、平地で雪が積もってはいませんので、「今年の冬は暖冬傾向」という予想通りになっているのでしょうか。個人的には、暖冬傾向になれば灯油代が少しでも助かりますので歓迎です。

 


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青空を見上げてみると、辺野古とつながっていた

2018年12月15日 | 日記

 今日は、寒いながらも昼から青空が顔を出してくれて気持ちが良いです。

 この一週間は、クリスマスの準備などで鳥取へ買い物に出かけたりと、バタバタとしていました。12月の上旬、風邪を引いたりして、何もかも準備が後手後手に回っています。ヤレヤレ。

 青空を見上げてみると、この同じ空の下、辺野古では基地建設のために綺麗な海に土砂が投入されています。県民が「ノー」と言っているのに、聞く耳も持たず、対話もせず、強行に計画を進めていることに憤りを覚えます。辺野古で行われていることは、そっくりそのまま自分たちにも同じようにやられることだろうと思います。そのことを自覚できない人が多いことに驚きます。

 自分は絶対的な安全圏にいると考え、「沖縄に泣いてもらうしかない」と言って基地建設に賛成する人は多いと思います。日米地位協定では、米軍が必要とすればどこにでも基地が作れることになっていますので、そもそも絶対的な安全圏があると考えること自体が叶えられない願望なのですが・・・。

 仮に百歩譲って安全圏があると思ってそこに立っていると思っている人たちは、涙を流させている沖縄の人たちに対する礼儀というものがあるはずです。聞く耳持たず、対話もせず、強行に計画が進められ、最低限の礼儀すら持ち合わせてない、無礼者振る舞いをしているこの状況に対して、基地建設に賛成している人たちであっても強く抗議すべきではないかと思います。

 人権教育を受けている訳ですから、意思に反することを強制させられたり、苦痛を強いられることに対して嫌と言っている沖縄の人たちの声を無視できないはずです。人権は大切、しかし沖縄の人たちの人権は知らない、そんな都合の良い人権教育がありますか? 人権のことを自分の頭で考えて、答えを出すことができない状態のことを「奴隷」と言うのだと思います。

 下の画像をクリックすると、ニュース記事をご紹介できます。へぇ、こんな人もいるんだと思いましたので、ご紹介いたします。

 

 


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「忍耐と希望」

2018年12月15日 | 聖書のお話

「忍耐と希望」 マタイによる福音書 2章1~12節

 ユダヤ人の国で、ユダヤ人の王が誕生したということは、本来ならユダヤ人にとって喜ぶべき出来事であったと思われます。しかし、聖書は、ユダヤ人の王の誕生が知らされたのは、東の国の占星術の学者たちであったと伝えています。占星術の学者たちは、ユダヤ人の王として生まれた方を拝み、贈り物を捧げるために、忍耐を惜しまず希望を胸にして遠い道のりをやって来ました。反対に、ユダヤ人の王が誕生したことを知ったヘロデ王を始め、エルサレムの人々は皆、不安を抱いたと伝えられています。

 民の祭司長たちや律法学者たちは、聖書を元にして、「イスラエルの牧者」がベツレヘムで生まれることになっているのを簡単に調べ上げましたが、それ以上は知ろうとしませんでした。一方で、ベツレヘムへと向かう占星術の学者たちを導いたのは、彼らが信じる「星」でした。このことから、イエスさんの所へ導かれたのは東の国の学者たち(外国人)であって、ユダヤ人では決してなかったと伝えられているのかも知れません。ユダヤ人の王の所には、ユダヤ人の誰一人も招かれなかったということです。忍耐を惜しまず希望を胸にやって来た外国人には喜びがあり、対照的に不安を抱くユダヤ人には希望も喜びもなかったと伝えられているような気がします。

 私たちもまた、忍耐と希望をもってクリスマスを迎えたいと思います。

 


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