「既に勝っている」 ヨハネによる福音書 16章25~33節
往々にして宗教とは、御利益追求のためと思われているところがあります。ご利益追求なのですから、利己的な欲求を満たそうとして神さまを崇めるのです。それが弱さや不安を抱えている藁をも掴みたい人間の心情であり、誰もそれを責めることなどできません。しかし、それではご利益が足らないと感じてしまうと、更なるご利益追求に走ってしまうものです。結局のところ、ご利益追求から解放されるためには、弱さや不安の原因を解消するしかありません。
「神を愛し、人を愛し、土を愛する」という三愛精神は、ご利益追求とは反対のところに目を向けさせてくれます。他者や自然を愛そうとするならば、利己的な思いを捨てなければなりません。神さまを愛するとは、それと同じであると教えられています。私たちは、この世から来る弱さや不安というものを抱えています。それは、私たちが互いに愛し合うことによって解消されるものです。互いに愛し合うならば、困難が闘いを挑んで来ても既に勝っているのです。