「血筋ではなく愛」 ルカによる福音書 1章26~38節
マリアは、天使から「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げられました。そのとき、自分が聖霊によって身ごもっていることを知りました。天使は、生まれる子が偉大な人になり、王の座に着いて神の民を治めるようになると告げました。マリアは、天使に「どうして、そのようなことがあり得ましょうか。私は男の人を知りませんのに。」と言いました。
王の座とは、血筋に基づいていると考えられていました。マリアは、庶民でした。許嫁のヨセフもダビデ家とは言われていても遠い親戚でしかなく、庶民でした。だから、マリアが天使に「私は男の人を知りませんのに。」と言ったのは、マリアに王の血筋にあたる知り合いがいないため、王になる子を身ごもることなど起こり得ないと言っているのです。
王の座が血筋に基づくものであり、自分に王の血筋にあたる知り合いがいないので、王になる子を身ごもることなど起こり得ないと考えるのは、人間の考えです。しかし、マリアが「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言ったのは、人間の血筋を選ぶのではなく、神さまの意思に委ねることを選ぶという信仰の表明なのです。やがて、マリアから生まれたイエスさんは、その生き様によって世に愛を示しました。神さまの意思とは、血筋を選ぶのではなく愛を選ぶことなのです。