「共鳴・共感していた」 コリントの信徒への手紙一 14章6~19節
パウロは、「異言」とは個人の信仰を高めることで、他人には伝わらないものであると教えています。信仰共同体(教会)では、あまり個人の信仰を押し通そうとすると、混乱や争いが起こるものです。むしろ、互いを思いやる気持ちを忘れず、言い換えれば愛情を忘れずに、互いの理解を深め、互いの信仰を尊重し、互いに共鳴・共感することが求められているように思います。
時に個人の信仰は、理解することが難しい場合があります。心の中は、他人には分からないからです。けれども、誰一人として意味のない言葉を語ったりはしないものです。一人ひとりに理屈があるように、「正しさ」もあるものです。従って、自分の思いが尊重されるのと同様に、他者の思いも尊重されるべきではないでしょうか。
パウロは、「異言」を解釈して人に伝えることの大切さを教えています。「異言」とは、他人にとって理解することが難しいものですから、他人に分かるような理性的な言葉で解釈して伝えることができたなら、「異言」が互いの信仰を高め合うことになるかもしれません。だから、パウロは、教会で他者に伝わらないような一万の「異言」を語るよりも、誰もが共鳴・共感できるような5つの理性的な言葉を語る方が良いのではないかと教えています。