旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

トンネル駅&只見線の旅7~只見線会津若松駅まで

2015-09-04 05:33:09 | トンネル駅&只見線の旅
 会津川口駅前には、パン屋さんや食堂はあるものの2時間以上あります。






 駅の方は、歩くと40分ぐらいかかるのでタクシーで行かなければならないけど、道の駅を薦めていました。道の駅の近くに会津中川駅があるのでそこから列車に乗ることができるとのことでした。

 道の駅「奥会津かねやま」には「金山町活性化センターこぶし館」が併設さていました。




 金山町の物産に混じって、大塩の炭酸水も売っていました。まろやかな味の炭酸水でした。


 今日通ってきたとおり、只見線は平成23年7月の新潟福島豪雨災害による鉄橋の流失などで、只見駅と会津川口駅の間が現在も、乗客数が少ないことなどから、復旧作業が行われず全線復旧のめどはまだ立っていません。
 そこで、沿線の市町村では只見線の全線復旧を目指して、様々な取り組みを続けています。その一つが「只見線に手を振ろう条例」です。沿線の魚沼市・柳津町・只見町・金山町・昭和村・三島町の6市町村で住民のみなさんに、只見線の列車を見かけたら笑顔で手を振ることを促すという取り組みです。ちなみに、昭和村には只見線は通っていませんが、地域振興のためにもと条例を制定したそうです。
 そのポスターが、道の駅にも貼ってありました。




 お昼はここで食べることにしました。
地元の高遠そばに、これも地元の特産品辛みの強いアザキ大根をすり下ろして食べる「アザキ大根高遠そば」です。


 会津川口駅に戻り、再び列車の旅に戻ります。
 只見駅川のホームの端には、積雪計が有り豪雪地帯と言うことが分かります。


 乗る列車と停まる駅と時刻は次のとおりです。
只見線 普通 会津若松行
会津川口  12:35発   
会津中川  12:39着 12:40発  
会津水沼  12:45着 12:45発  
早戸    12:52着 12:52発  
会津宮下  13:01着 13:02発  
会津西方  13:05着 13:06発  
会津桧原  13:10着 13:10発  
滝谷    13:13着 13:14発  
郷戸    13:19着 13:19発  
会津柳津  13:25着 13:26発  
会津坂本  13:30着 13:31発  
塔寺    13:37着 13:38発  
会津坂下  13:44着 13:49発  
若宮    13:53着 13:53発  
新鶴    13:57着 13:57発  
根岸    14:00着 14:01発  
会津高田  14:06着 14:07発  
会津本郷  14:13着 14:13発  
西若松   14:19着 14:20発  
七日町   14:23着 14:23発  
会津若松  14:27着




 代行バスから乗り継いだ人に、新たに何人か加わり2両に11人乗車して定刻の発車です。
 しばらく只見川に沿って進みます。


 先ほど寄った道の駅は、ここ会津中川駅から5分とかからないところにあります。


 只見川にある10以上のダムは、すべて発電用で治水用ダムがないことが特徴の一つです。ここ上田ダムもその一つです。


 会津水沼駅。こんな姿も時々見ます。


 只見川を挟んで向こうの山には、カルデラ湖の沼沢湖が有りそこには日本では珍しい妖精美術館があるそうです。


 早戸駅。沼沢湖がカルデラ湖であることから周辺では硫黄鉱石等が採れ、それを運ぶための貨物ホームもあったそうですが、そこもうめられ、只見線では珍しいコンクリート製の待合室がありました。


 宮下ダムを左に見て進むと、会津宮下駅。ここは昭和31年まで只見線の終点だった駅のためか構内も広く、今は使われていない転車台もありました。






 ここ会津宮下駅から、会津西方駅、会津桧原駅と比較的新しく見える駅を只見川を渡ながら進みます。










 会津桧原駅からはいったん只見川と別れ、只見川の支流滝谷川の渓谷を渡ります。


 この先にある滝谷駅もかつては貨物ホームがあったようで、一部その跡が残っていましたが駅舎は取り壊され、その跡にコンパクトな待合室が建っていました。 


 小さなカプセル型の待合室の郷戸駅を過ぎると、蛇行する只見川に架かる国道252号の赤い橋とその向こうに圓蔵寺が見えてくると、門前町として栄えた会津柳津駅に着きます。




 会津柳津駅はかつて交換設備があったため、その名残のホームと途中で切れている線路が残っていました。




 使われていまいホームには、今年のゴールデンウィークに運転された「風っこ只見線新緑号」を歓迎し、只見線の名所を案内する看板が残っていました。
おそらく10月には「風っこ只見線紅葉号」が走るので、そのときは一部模様替えするでしょう。


 駅前には、只見線で活躍していたC11-244号機関車が、比較的良い状態で保存されているようでした。


会津柳津駅を過ぎると只見川とも離れ会津坂本駅に着きます。ここは只見線でも珍しい貨車を再利用した待合室です。


 七折れの名前の通り線路が蛇行しながら登り、少し下ったところに塔寺駅がありました。


 更に列車は、1000分の25という勾配を下っていきます。


 下り終えると水田が広がり、会津板下駅に到着しました。
ここで列車すれ違いです。


 跨線橋がないため、反対側の列車に乗る人は線路を横断します。そのため、こちらの列車はその手前に停車します。




 ここから会津若松駅は道路では13㎞ほどの所にありますが、列車は若宮駅、新鶴駅、根岸駅、会津高田駅と南下し、そこで大きくカーブして会津本郷駅を通り西若松駅で会津鉄道と合流し、七日町駅を通って会津若松駅に到着します。そのため会津若松駅までの距離は21.6kmになります。  
まずは磐梯山を左に見て南下します。


 辺りは水田で、集落が点在する若宮駅。


 遠くに会津若松市街地が見えてきて新鶴駅に到着。




 さらに南下し、根岸駅に到着。


 無人駅の待合室には、かつての只見線の写真と新幹線のポスターが貼られていました。


 駅の側には「野口英世 ゆかりの地」の案内板。野口英世の母が深く信仰し毎月参篭して月参りをしていたことでも有名な、地元では「中田の観音さま」と呼ばれている弘安寺が、歩いて5分の所にあるそうです。


 会津板下駅からほぼ一直線に南下してきたのも、東にカーブし会津高田駅に到着します。
 駅舎は新鶴駅と同じデザインでした。


 更に田んぼに囲まれて進み、会津本郷駅に着きます。


 会津本郷駅も、新鶴駅・会津高田駅と同じデザインでした。


 ここから列車は進路を北に変え、阿賀川を渡ります。阿賀川は下流で只見川と合流し、新潟県に入ると阿賀野川と名前を変え日本海に注いでいます。


 右から会津鉄道が並行して進むと、西若松駅に着きます。


 西若松駅では、首から水筒を提げた兄妹が降りていきました。


 七日市町駅では、途中の無人駅から乗車した高校生の精算に時間がかかり3分ほど停車。


 終点会津若松駅には2分遅れの14時29分に到着しました。


 3日目、小出駅から会津若松駅までの乗車時間4時間1分。乗車距離(代行バスの距離を加えない)107.6km。

 時間があるので、まちなか周遊バスに乗って飯盛山へ。




 目的は、会津さざえ堂。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といい、六角三層のお堂です。
二重螺旋のスロープになっていて、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造になっている国の重要文化財です。








 今日は、東山温泉に泊まります。

 つづく


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