「一人ひとりの力は小さいかもしれないけれど無力じゃない」「私たちは微力かもしれないけれど無力じゃない」──2003年のイラク戦争開戦直後に行った、全校高校生平和集会で合言葉になりました。
当時は、世界各地で戦争が始まる前から大きな運動が広がりました。
カリスマ的な誰かが変えるのではなく、一人ひとりが声を上げることで必ず世の中を変えることができると議論したことを鮮明に覚えています。
「私には力がある」「私たちには力がある」。
— 上西充子 (@mu0283) December 31, 2019
今年はこれで行きましょう。
「微力だが無力ではない」。
この言葉を思い起こしながら動いてみたら、案外「微力」でもなかった、というのが、ここ数年の自分の経験でした。
私たちには社会を変える力がある。
力はすでに、私たちの中にある。
元日に、法政大学の上西先生が、「私たちには社会を変える力がある」「力はすでに、私たちの中にある」とtweetしていたのが目にとまりました。
そこには「案外『微力』でもなかった」という言葉も添えられています。
一人ひとりには力があるんだ、小さいと思わされていただけなのかもしれないと。
投票率が、85%を超えるスウェーデンでは、私個人の力では政府の決定に影響を与えられると思っている割合が高く、「とくに政治に関心をもっていなくても選挙には行く」のです。(参考:投票率85・8%の国で──『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を読んでみた⑴)
ブログを更新しました「投票率85・8%の国で──『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を読んでみた⑴」
— 池川友一🏳️🌈 (@u1_ikegawa) October 13, 2018
実は、日本とスウェーデンでは、日本の方が政治への「関心」が高い…が、スウェーデンでは、とくに政治に関心をもっていなくても選挙には行く。https://t.co/FvLAI1sdeZ
よく、今の若い人たちは政治に関心がないという言われ方をします。もちろん関心を持つことは重要です。
しかし、ここで大事なのは、関心があるかないかではないと思うのです。
政策や法律が変わったら、将来にわたってその影響を受けるということを自覚し、だから投票に行く、政策を変えるための行動もする、抗議の声も上げるということが、社会的に当たり前となっていくことが重要だと思います。
上西先生の「私たちには社会を変える力がある」というのは、そういうことだと思うのです。
ブルーハーツの「未来は僕らの手の中」に「それならば今ここで僕等何かを始めよう」という歌詞があります。一緒に社会を変えるために、何かを始めようと多くの人と取り組んでいきたいです。
今年のキーワードは、「私たちには社会を変える力がある」──汝の価値に目覚めて、声と行動を広げていく一年にしたいと思います。
「一人ひとりの力は小さいかもしれないけれど、無力ではない」と私も言ってきましたが、「私たちには力がある」というのは同感。
— 池川友一🏳️🌈 (@u1_ikegawa) January 1, 2020
ブルーハーツの「未来は僕らの手の中」に「それならば今ここで僕等何かを始めよう」と。一緒に社会を変えるために、何かを始めよう! https://t.co/RpdtWl8KVS
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最初に”不自然だな”と思ったニュースが(ゴーン被告に対する批判の意見も)という表題のニュースです。各局ともほとんど同じ論調で伝えていました。
(~も)という言葉を使っているという事は、批判的ではない意見、擁護や賛同する意見が最初に大勢を占めていて、それに対しての反対の意見だってあるんだよってことを意味していると思います。実際に、あるフランス紙のアンケートでは、実に8割近い人がゴーン氏の行動を支持していて、賛成している意見が多かったそうです。ところが、日本のテレビニュースはゴーン擁護の意見を一切流さず、ゴーン被告を叩く為の意見だけを流し続けています。
”嘘はついていない”って有名キャスターの人が懸命に言っていましたが、(~も)の言葉が付いたゴーン批判ニュースだけを流して、元の”賛同者はたくさんいるんです。”ってニュースを全く流さなかった各テレビ局は、意図を持って、ゴーン被告を貶めていると言えますよね。ゴーン氏が有罪であろうと無罪であろうと関係のないことです。
マスコミと政治の一体型権力組織が意図的に個人を落とし込め誹謗中傷を流す構図がそこにはっきりと見えています。
国策逮捕と言われており、ゴーン被告が、自分で逃げ出さなければ”獄中死に追いやられるという考えに至っても当然”と思われる日本の政治マスコミ一体型の動きです。
(ゴーン被告を非難する声も)ってニュースの表題を見ても何も疑問に思わなかった人は、”思考能力劣化の日本の象徴的な存在”になっていることを、自分で意識してください。