ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
先見の明があった平尾誠二だが
ラグビーW杯で日本代表が南アフリカとベスト8で対戦した10月
20日は、日本でミスター・ラグビーと呼ばれていた平尾誠二の命日
だったという事で大いに話題になっていた。
その‘平尾の命日にベスト4進出を’という願いも空しく日本は
本気で臨んで来た南アフリカに完敗したのだが、これまでの戦い
ぶりは素晴らしいものがあった。
平尾といえば国内での実績は改めて語るまでもないが代表として
も第1回から第3回までのW杯に選手として出場していただけでなく、
第4回大会では監督としてチームを率いて戦ったわけだが残念ながら
特に監督としては不完全燃焼に終わった感が強い。
実際に代表監督時代はアンドリュー・マコーミックを主将にした
だけでなく、現代表監督のジェイミー・ジョセフやグレアム・バシ
ョップら4年前のW杯でニュージーランド代表としてプレーし準優
勝した2人まで代表に選出したのだ。
正直言って‘チェリー・ブラックス’‘試合前にハカはやらないのか’
などと海外からも顰蹙を買っていたし、外国人だらけという国内か
らの批判も相当激しかったのだが今大会では31人中15人が外国
出身選手になっているのだから先見の明があったと言っていい。
ちなみにそれだけでなく第3回W杯で代表に復帰した時にはセン
ターでの代表復帰を打診されたにも拘わらず‘これからのセンター
は体重が80㌔台後半でないと体が持たない’と言ってスタンドオフ
での復帰に拘った。
またW杯初戦のウェールズ戦では左ウイングで世界選抜にも選ば
れていた吉田義人に替えて増保輝則の起用を進言したわけだが、そ
の理由として‘これからのウイングはゲインラインを突破するだけ
でなくタックルされても体を張ってボールをキープできる選手’
という理論だったようだ。
当時は‘小よく大を制す’という理論が盲信されていたので‘俊敏
さという日本人の長所に背を向けて海外のコピー’と批判されたの
だが、今回のジェイミー・ジャパンには現役時代の松尾雄二や平尾
誠二に吉田義人らのようなサイズの選手は1人もいなかった事を考
えると24年前の平尾の理論が正しかった事が分かるだろう。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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ラグビーで言うと、ロムーの登場がやはりエポックメイキングだったし、95年のRWC決勝ロムーと戦った、南アフリカのSHファン・デル・ヴェストハイゼンも大男で、まさにプロ化にふさわしいというところです。お2人とも亡くなってしまいましたが…。
これも同じことを書きましたけど、平尾は日本を立て直すにはやはり時間が足りませんでしたね。
11番が吉田義人ではなく増保輝則だったのはロムー起用と同じ発想だった感じですよね。
当時の日本の論調は‘そんなでかいのを並べても動けるのか’的なものが多く‘小よく大を制す’的な価値観を盲信している感が強かったですからね。
まさしく早く生まれ過ぎたという事になるのでしょうか。