城島健司 引退、自らの‘美学’に殉じる

阪神の城島が引退表明=「捕手として限界」―プロ野球(時事通信) - goo ニュース

 今朝のスポーツ紙1面にタイガースの城島健司が今シーズン限りで引退という
記事が載っていて驚いたと共に来るべき時が来たかと思った。


 09年シーズン終了後にシアトルから帰国した城島は10年から古巣のホークス
ではなく最初に声をかけたタイガースに入団すると144試合にフル出場し打率
,303で28本のHRを放つなど期待通りの成績を残したのだが、そのシーズンの
オフに左膝の手術を受けてからケガに悩まされる形になり今年は内野手での
登録となったものの腰椎間板ヘルニアの手術を受けたり肉離れを起こすなど
満身創痍の状態だった。


 思えば城島ほど周囲の批判に晒されながらも、それをバネにして結果を残して
きた選手も珍しい。


 94年のドラフトでホークスがドラフトの目玉といわれた河原純一を指名せずに
獲得したものの高校時代に通算70HRを放った大型捕手という要素ばかりが
先行したため、殆どのOB達は‘ホークスは何を考えているのか’と批判し野村
克也をはじめ森祇晶ら歴代の名捕手と呼ばれたOB達から‘キャッチャー向き
ではない’と酷評された。


 しかし97年から一軍のレギュラーに定着すると城島の成長と共にホークスも
強くなり99年・00年・03年と3度リーグ優勝し99年・03年には日本一に輝く
など黄金時代の中心人物の1人となる。


 キャッチャーながら01年と02年以外は3割を打ち01年以降は毎年20本以上
のHRを放つなどリードや強肩だけでなく強打も持ち合わせた日本一のキャッ
チャーへと成長し、FAでMLBのシアトルに移籍して ここでも最初の2年間は3割
近い打率を残しただけでなく盗塁阻止率も4割を記録するなど活躍。


 ただ日米の野球文化の違いを克服できず08年以降は出場試合が減り4年で
帰国する事になったのだが、今にして思えば これが最大の痛恨事。


‘3連戦あったら3試合目に投げるピッチャーのリードから逆算して1試合目に投
げるピッチャーのリードを考える’というやり方でホークス時代からキャッチャー
ながらフル出場を目指していたが5試合に1・2試合は負担軽減のために控え
キャッチャーを併用するという事や、キャッチャーがピッチャーをリードするのでは
なくピッチャーの投げたい球を投げさせるというMLBのスタイルに馴染めなかった
という事。


 だから日本球界に復帰した時には全試合出場できる事を条件に挙げていて
実際タイガース移籍1年目の10年は全試合にフル出場したのだった。

 
 とはいえシーズン終盤の左ひざのケガで10年オフに手術をし、治りきらない
のに無理をして復帰したため翌11年には右肘や腰まで痛めてしまうなど満身
創痍の状態で今年は内野手も兼ねる事になったもののケガに悩まされた。


‘キャッチャーはリードが第一で打撃の事を考える時間があったらリードの勉強
を’と言うOBが多い中で‘キャッチャーがピッチャーの心理を一番よく分かるの
で打って当たり前’と
反論して打ちまくった姿は忘れられないし‘キャッチャー
だから打てなくても仕方ない’という見方が否定されるようになったのは まさ
しく城島の功績だろう。


 ただしキャッチャーの2人併用制というのは長いシーズンをケガなく乗り切る
ためのMLBの智恵だし、それをパリーグも実践し始めている時代に全試合&
全イニング出場に拘る姿は異様で結果的に自らのキャリアを縮めるハメに
なってしまった。


 また‘郷に入らば郷に従え’という言葉があるようにMLBで投手主導のリードに
切り替える事や併用制に順応ができたら まだ36歳の若さだから現役生活を
続けられただろうが、それをよしとせずに自らのスタイルに拘る姿や太く短い
終わり方も城島らしいと思わないでもない。


‘キャッチャーができなくなったらユニホームを脱ぐと決めていた’という自らの
美学に殉じての引退は残念だが、とりあえず
お疲れ様と言いたい。

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