大熊正二の執念 ソウルで実る

 今から28年前の今日80年5月18日は、元WBC世界フライ級
王者だった大熊正二が無敗の王者・朴賛希を敵地・ソウルで
9RにKOして5年4ヶ月ぶりに返り咲いた日である。

 74年10月に曲者王者のベツリオ・ゴンサレスに挑戦し僅差の
判定で下し、初挑戦で王座を獲得したのが23歳。

 前途は洋々と思われたが、意外にも75年1月の初防衛戦で
ゴンサレスに完敗していたミゲール・カントに0-2の僅差の判定
負けで‘百日天下’に終わる。

 74年当時は輪島功一や柴田国明、ガッツ石松といった華のある
名王者が林立していた頃で大熊は地味な存在だった。

 その後76年4月、78年1月&4月、79年1月&7月と5度に渡り王座
返り咲きを目指して挑戦する。

 78年1月はカントとの再戦で‘勝った’と思われた試合を 1-2の判定
負けに、79年1月はWBA王者に返り咲いていたゴンサレス相手に
‘完勝’と思われた試合を引き分けにされる不運。

 しかも次の試合で完敗と不運を絵に描いたような状態だ。

 王者の朴は大熊が3戦全敗だったカントから王座を奪い、再戦
でもダウンを奪って引き分けて既に5度の防衛を果たしていた。

 その朴に挑戦しようというのだが、競り合いにはなるものの勝ち
運に見放された大熊に対し、日の出の勢いの国民的英雄・朴との
パワーバランスでソウルでの挑戦になってしまった。

 ただでさえ地元での挑戦で不運な判定負けが続いている大熊が、
ホームアドバンテージ全開のソウルで勝てるとは誰も思ってなかった。

 ただ私的には漠然とだが‘今度は勝てるのでは?’と感じた。

 というのが朴は無敗の王者だが、ペース配分が下手なためスタミナに
難があるのでは?と思っていたのだ。

 実際カントとの再戦ではダウンを取ったものの、後半は追い上げられ
ていたし 4回目と5回目は格下相手に前半圧倒しながら後半はペース
ダウンして倒せなかったのだ。

 だから‘前半からボディを攻めて後半勝負に持っていければ’と考えて
いた。

  残念ながら福岡はOAするTV東京系がなかったため、夜のスポーツ
アワーが最初のニュースになるので心待ちにしていた。

 そしてスポーツアワーが22:45から始まったのだが、司会の西田善夫
アナが
‘まず最初にボクシングファンのみなさんに嬉しいニュースです’
と切り出したので、思わずバンザイをした。

  記事を総合すると1Rから朴がエンジン全開で攻め込み、それを
大熊がボディブローで迎え撃つ。

 5Rぐらいから朴は予想通りペースダウンし始め、8Rの終了間際に
脇腹打ちで遂にダウンを奪う。

 9R開始早々に左ストレートがストマックを突き刺すと朴は後退、
左の脇腹打ちから右フックをアゴに決めてダウンを奪うとレフェリー
がストップしたらしい。

 まさか いつも写真判定で涙を呑んでいた大熊が、これまで日本人が
世界戦で1度も勝てなかった韓国のリングで無敗の王者を倒して返り
咲くとは思わなかった。

 ちなみにこの日 韓国では金大中が逮捕され、これをきっかけに悪名
高い‘光州事件’が起きるのだった。 

 その後、大熊は朴と2度 対戦するが、いずれも僅差ながら判定で勝っ
ている。

 面白い事に大熊が3連敗していたカントに負けなかった朴に3連勝と、
この3人はジャンケン関係になったのである。

 だから相性というのは面白い。 

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