ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
髄膜炎入院から50年
ご存じのように昨年12月23日夜から年末年始にかけて脳幹出血で
4週間入院したのだが、実は今から50年前の今日72年6月12日に髄膜
炎で入院したのだった。
最初はおたふく風邪という形で学校を欠席する日が多かったのだ
が治らないため市立病院に回されると検査の結果、即入院という事
になり最終的に24日まで実に13日間にわたる入院生活を送る事に
なったわけである。
この時に初めて体験したのが点滴で今と違ってギブスのような固
いボードに腕を固定し、そのまま連日し続けるハメになったわけで
大いに辛い思いをした。
これにつながれていたので、トイレすら当時は持って移動できな
かったという記憶がある。
一番大変だったのは市立病院に行って受けた検査で背中を丸めて
腰椎に針を突きさし髄液を採取された事で、かなりの痛さで母親や
看護師さんから‘よく頑張ったね’と言われたのを覚えている。
この腰椎に針を打ち込むのは盲腸などの手術の時に麻酔を打つ時
に同じように行うようで、余談ながら27年後の99年1月11日に鼠経
ヘルニア手術を同じ私立病院で受け手術前の麻酔をする時に背中を
丸め看護師さんから‘上手いですね’と言われたのだが27年前の話を
して大笑いしたのだった。
後から聞いたところによると放っておけば髄膜炎から脳膜炎に
なるそうで、そうなる前に抗生剤を点滴で徹底的な投与をしたら
しい。
入院中は祖母が付き添ってくれたわけで母親よりもよかったし、
祖母が外来で知り合いに会った時に自分の姉が入院していると言っ
てごまかしたらしい。
ちなみに入院したのは6人部屋で、婆さん1人を除いて同世代の
子供達ばかりだったからわりあい楽しく過ごす事ができた。
また他の病室に3人ばかり同級生が入院していたわけで驚いたの
を覚えているが、私が入院する前にも髄膜炎で入院した同級生が
いたので当時髄膜炎が流行していたのだろう。
入院して8日目の19日に2回目の髄液採取検査を行い最終的に24
日に退院できた時はホッとしたものの、そこから地獄が待ってい
たのは入院当初は知る由もなかった。
« 京口紘人8回TK... | 専門家?のハ... » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |
![]() |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |