具志堅用高の全盛時を見る事ができた幸運

 今から40年前の昨日、Jフライ級の当時の防衛記録を更新した
具志堅用高は本当に強かった。

 具志堅がタイトルを奪取した76年は5月18日に輪島功一がホセ
・デ
ュランに14RでKOされ11年ぶりに世界王者不在となったのが、
10月9日にKO仕掛け人といわれたロイヤル小林がKOでタイトルを
奪取した翌日に具志堅がファン・グスマンをKOし連夜の世界王者
誕生となっただけでなく待望の新世代世界王者となったのだ。

 前日タイトルを奪取したロイヤル小林はミュンヘン五輪ベスト
8で強打者だった事から防衛を続けていけば具志堅以上の知名度を
得て日本のボクサーの看板になる可能性が高かったのだが、残念
ながら45日後にソウルで廉東均の挑戦を受けスリップ気味のダウ
ンを取られる不運はあり0-2の僅差判定負けで46日でタイトルを
手放す事に。

 これで具志堅が負ければ再び世界王者がいなくなると危惧され
る中、グスマンの前の王者ハイメ・リオス相手にダウンを奪われ
目も切られる大苦戦の初防衛戦を2-1の僅差判定で切り抜けると
リゴベルト・マルカノにも判定ではあるが快勝。

 ここから具志堅の快進撃が始まるわけで特に3度目から8度目の
防衛戦は全てKOで6試合連続KO防衛という素晴らしい成績で無敵
モードになっており78年は年4試合中3試合が防衛戦で、79年に至
っては4試合全て防衛戦を行い3KOなのだからいかに強かったか分
かるだろう。

 しかも初防衛戦で苦戦したリオスは5度目で、2度目の防衛戦で
判定までいったマルカノも7RでKOしているしヘルマン・トーレス
やルぺ・マデラら‘次期世界王者候補’達にも十分勝てると考えて
いたので12回目の防衛に成功した時点でジョー・ルイスの25回は
無理でも20回ぐらいは防衛するのではと思ったもの。

 とはいえ具志堅は12度防衛して無敗のまま引退を考えていたよ
うなのだが当時の現状からは無理だったのだが、仮にフライ級に
上げて戦うなりWBC王者との統一戦を行うなど刺激を与えるとい
う発想を当時できなかったのかと思う。

 実に4年5ヶ月もの間タイトルを守るだけでなく日本の1枚エース
としてボクシング界の看板を1人で支えていたわけだから、やはり
相当な疲労とダメージがあったものと考えられるので 今にして思
うと ここらあたりが限界だったのだろう。

 それでも具志堅の素晴らしいファイトを4年にわたって見る事が
できた我々は幸運だったと思うのだ。

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