ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
またも訃報が・・・内山まもる氏 死去
一昨日の新聞に第2期ウルトラで多くの作品を残した石堂淑朗氏が亡くなった
というニュースが載っていて衝撃を受けたのだが、それに続いて昨日の新聞に
漫画家の内山まもる氏が亡くなったという記事が載っていた。
石堂淑朗は79歳と平均寿命を越えているのだが、内山まもるに至っては
62歳とまだ若いのに・・・・と思う。
内山まもるといえばコロコロコミックに連載されたザ・ウルトラマンの作者と
いうイメージがあったが、小学館の学習雑誌の帰ってきたウルトラマンなども
描いていたという事を初めて知った。
今年は帰ってきたウルトラマンが誕生して40年目だが、当時小2だった私が
当然のように買って読んでいた小学2年生にも帰ってきたウルトラマンは連載
されていた。
それを描いていたのが他ならぬ内山まもるだったとは意外だったし、特に増刊
号に載っていた当時 完成したばかりだった京王プラザホテルを舞台に戦う決戦
ウルトラ兄弟対11大怪獣はワクワクしながら読んだものだ。
エース以降も読んでいたのだが、それ以上に驚いたのがTV化される前のジャン
ボーグAの原作をも担当していた事。
たしかにTV番組で見るのもいいが当時はビデオがなかったためウルトラマンを
マンガで読むというのも楽しみの1つだったし、マンガならではのウルトラワールド
を見せてくれたのも今となっては当時の子供だった我々にとって嬉しいプレゼント
だったと思う。
そんなわけで大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIEにウルトラマンの
スーツアクターだった古谷敏と光の国の住人として共演していたのを知った時
には大いに嬉しかったし、亡くなったと聞いて光の国へ旅立ったのかとも思った。
内山先生、すばらしい作品をありがとうございました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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もう『昭和』の漫画、アニメを作った方々は、概ね鬼籍に入られる時期なのかなぁ~、
なんて思ってしまいます。
そして勿論、その次に『自分の死』がくるわけですが。
内山先生は、『冒険王』で描いておられた野球漫画、『ひょうたん』が好きで、単行本に全部収録されていない(多分)なので、最終回掲載誌は、保管しています。
ちょうど年齢的に亡くなる巡り合わせかもしれませんが、ここまで重なると全くやりきれません。
内山氏が冒険王でも描いていたのは知りませんでした。
どうしても冒険王は宇宙猿人ゴリのイメージが強かったですから。