40年前、田川の対戦相手は秋田商に

 昭和の時代に高校野球では春も夏も基本的に開会式の2日前に組
み合わせ抽選会が行われ、前日に開会式リハーサルを行うというの
が通例で今から40年前も8月8日が大会初日だったので40年前の今日
8月6日が組み合わせ抽選会だったのだ。

 そして春夏通じて初出場となった福岡県代表の田川は2回戦から
登場する8月13日の第4試合で、選抜ベスト8の秋田商との対戦が決
まったのだった。

 当時は組み合わせ抽選会のTV中継はなくネットによる速報もない
ため11:30からの民放昼のニュースで、決まった組み合わせが紹介
されるのでドキドキしながら待っていたら秋田商だったわけである。

 秋田商といえば剛腕・高山郁夫を擁して前年夏と今年の春に続く
3季連続出場で、選抜では鹿児島商工と静岡に勝ってベスト8で準優
勝した帝京に0-2で敗れていたのだが田川にとって相当な格上だっ
たわけでスポーツ紙では‘相手にとって不足なし’と書いていたもの
の一言‘厳しいなぁ~’という感想だった。

 以前も記したように田川が嘉穂に勝って出場を決めたのは8月2
日と全国で一番遅い日という事だったが、そこから3日間は田川の
野球部関係者や選手達も正直言って夢の中のような日々を送って
たと思うのだ。

 しかし対戦相手が決まると現実に引き戻されるわけで、その組み
合わせ抽選会で田川がどこと当たるのか?という予想をしていた。

 ありがたい事に当時は西日本勢同士は初戦の対戦がないため選抜
優勝の高知商や前年夏優勝の箕島に選抜ベスト4の広陵などの強豪
とは少なくとも初戦で対戦する事はないし、東日本勢では東京の早
稲田実や神奈川の横浜に千葉の習志野あたりとさえ対戦しなければ
一方的な展開にはならないと実感する。

 できれば岩手の福岡や福島の双葉に山梨の日川、新潟の新発田農
や富山の新湊に三重の明野あたりと対戦すれば地方の公立校だけに
いい勝負ができると考えていた。

 それだけに秋田商相手だと打線が全国レベルからいえば低いので
完封負けが必至なだけでなく、下手するとパーフェクトやノーヒッ
トノーランを喰いそうだし第4試合を引いたならナイトゲームにな
る可能性があるものの150㌔近い剛速球を持つ高山相手なら球が速
く見えるナイトゲームはマズいと考えていたものだ。

 田川はベスト16以降全て後攻で勝ち上がってきたので秋田商相手
なら、何としてもジャンケンで勝って後攻を取り無失点で凌ぎなが
ら9回裏の攻撃に全てをかけるのが必勝法だと思っていたのだ。

 余談ながら秋田商のエース・高山郁夫は卒業後プリンスホテルで
プレーした後ライオンズに入団し89年10月12日のバファローズ相手
のWヘッダーG2い先発しているし、95年からはホークスにトレード
で来たのには驚いたし福岡に縁があるのだなと実感したのだった。

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