浪速のロッキーが七夕決戦に散ってから30年

 今から30年前の今日‘浪速のロッキー’こと赤井英和が母校の近大記念館で
ブルース・カリーが持つWBC:Jウエルター級タイトルに挑戦し自ら予告した7Rで
KO負けした。


 モスクワ五輪がボイコットとなり80年9月にプロデビューを果たした赤井は持ち
前の強打で新人王を含めて13KOを含む14連勝を飾り、日本・東洋を飛ばし
一気に世界に挑む路線でWBC:Jウエルター級タイトルに挑戦する事になった。

 王者のブルース・カリーは77年にクォーリー・フジというリングネームで三迫
ジムに所属しライオン古山や杉谷実をKOするなど活躍していたものの、
帰国後は
6敗した中で5KO負けしているので赤井の強打が炸裂すれば十分倒せる
と思って
いたし赤井戦の1ヵ月半前にレロイ・ヘーリーから僅差の判定勝ち
だから そこまで
強い王者とは思えなかった。


 当時 赤井は自信満々で七夕の日に因んで事で7Rで倒すとブチ上げていたが、
カリーが後半に強いのに対し赤井はスタミナに不安があるので前半KOで赤井・
後半にもつれ込むとカリーという予想だった。

 試合が始まると予想通りケンカボクシングで左右フックを振るいながら襲いかかる
もののカリーは冷静に かわしつつジャブを打ち込んでポイントを
ピックアップすると
いう‘カリーが勝つとしたら’のシナリオ通りに進んで
しまう。

 しかも1Rに目を切るというハンデを背負い込んでしまう中、5Rに左フックで
ダウンを奪ったと思われたがスリップの判定。

 そして6Rに勝負をかけて猛ラッシュでカリーを追い回すが決定的なパンチを打ち
込めず2分過ぎからは的確なパンチを浴びてダメージを蓄積させ、予告した
7R開始
早々にダウンした後に反撃したが再びダウンをしたところでレフェリー
からストップ
された。


 通常ならKO予告などをして自分が倒されると非難の的になるのだが、本人の
スター性からか世間も‘次がんばれ’という論調だった。

 赤井自体のボクシングを見れば確かにパンチ力はあるし国内や東洋レベルならば
倒せても欠点である下半身と連動しない腕力のみのパンチや世界レベル
では甘い
ディフェンスというのが世界に届かなかったと思っていた。


 だからこそ下半身と連動したパンチを打ち、ディフェンスを しっかり磨けば世界に
届くと考えたのだが5連勝して1年半後に世界前哨戦として迎えた大和田
正春戦で
まさかのKO負けを喫して意識不明で開頭手術を受けて引退する事に
なったのだった。

 現在は俳優として成功しているので赤井が元ボクサーだった事を知らない世代が
増えているのだが、ずば抜けた強打と独特の明るいキャラクターは世界を取れ
かったとはいえ忘れられないボクサーだった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (チャベスのボディ・ブロー)
2013-07-10 14:11:16
赤井はアマでは幻のモスクワ五輪代表候補だったみたいですし、緻密な試合をしようと思えば出来たんでしょうが、プロに拘ったのでしょうか。
カリーよりも亀田昭雄戦、浜田剛史戦が観たかったです。
 
 
 
個人的には (こーじ)
2013-07-10 21:55:57
>チャべスのボディブロー様
 個人的には とりあえず世界にケンカボクシングで挑んで仮に負けても その課題を今後に どう生かせるかが大事だとカリー戦前は思ってました。

 だから赤井の修正能力に期待したのですけど、世界戦後は安易な相手を選んでパッとせずに・・・という感じでしたね。

 だから再起した後の時期に亀田昭雄や浜田剛史とやって欲しかったと思います。

 
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