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こーじ苑
ミゲール・カントに届かなかった小熊正二
今から40年前の昨日78年4月19日に蔵前国技館で行われたWBC
フライ級タイトルマッチで前王者の小熊正二は、王者のミゲール・
カントと対戦したのだが0-3の判定負けを喫し3度目の対戦で完敗
を喫した。
両者はこの試合が3度目の対戦で最初は75年1月8日に仙台で前年
10月にベツリオ・ゴンサレスに判定勝ちした王者・小熊の初防衛戦
として行われ、2-0の判定でカントが判定勝ちしてタイトルを奪取
し77年までに実に10度の防衛に成功していた。
そしてカント11度目の防衛戦の相手として この年の1月4日に3年
ぶりの再戦が行われ、この時も小熊が勝ったかに思われたが2-1の
僅差の判定でカントが防衛に成功したのだった。
当時の日本ボクシング界は唯一の世界王者だった具志堅用高が孤
軍奮闘する一方で76年10月に辻本章次が敗れて以来、実に世界挑戦
15連敗中だった事から‘今度こそかって挑戦連敗記録を止めて欲しい’
という期待の中でゴングが鳴った。
しかし過去2試合で小熊のコンビネーションパターンを熟知したカ
ントは小熊のパンチを悉く外す一方、軽いパンチながら的確にヒット
させ続けてポイントをピックアップして行き終わって見たら145-
144、147-145、148-145の3-0で小差ではあるものの3戦目に
して小熊の完敗だった。
この後カントは2度の防衛を加え14回の防衛に成功したのだが79年
3月に韓国で朴賛希の挑戦を受け0-3の判定でタイトルを失うと、半
年後の9月に行われた再戦でもダウンを喫し引き分けで返り咲き失敗。
その朴に80年5月にソウルで挑戦したのがリングネームを‘大熊’と
改めていた小熊正二で、戒厳令下のソウルで朴を9RでKOし5年4か月
ぶりの返り咲きを果たすと2度目と3度目の防衛戦でも2度にわたって
判定勝ちしたのだった。
当時は小熊が3度とも勝てなかったカントに1勝1分の朴と敵地での
戦いでは厳しいだろうという予想を覆し3連勝したのだから、相性と
いう要素がボクシングでは特に重要なファクターだと認識させられた。
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