スワローズ初の日本一&上田利治の長時間抗議から30年

 今から30年前の今日・78年10月22日がスワローズが球団創設以来
初の日本一になった日と共に対戦相手のブレーブス・上田利治監督が
2時間近くもの猛抗議を行ってヒンシュクを買った日である。 

 4連覇を目指したブレーブスに挑戦したスワローズだったが G2こそ
猛打で勝ったものの、G1はPH河村に逆転3ランを打たれ G3は魔術師と
言われた足立光宏に3安打完封されて1勝2敗。

 G4も途中まで0-5とブレーブスがリードしていたが、6回にスワローズが
4点を返して1点差で迎えた9回に2アウト1塁から1番のデーブ・ヒルトンが
今井雄太郎から逆転2ランを打って流れを変えた。
 G5でエースの山田久志を打ち込み王手をかけて地元に戻ったものの、
G6は白石に抑えられて3勝3敗のタイで最終戦を迎えた。

 当時スワローズの本拠地・神宮球場はアマチュア優先のため東京六
大学が使用し、ジャイアンツの本拠地である後楽園でのホームゲームと
なっていた。
 スワローズはG2で勝ち投手になり、G5ではリリーフで投げたエースの
松岡弘が満を持して登板し好投。
 一方ブレーブスはG3で3安打完封した足立だが、マウンドの傾斜が高い
後楽園のマウンドに少々手こずり気味で4回に1点を先行される。
 そして迎えた6回に先頭の4番・大杉勝男が初球をレフトポール際に打ち
込んだ。

 際どくファールに思えた打球だったが線審の富沢宏哉が手を回した。
 これに怒ったブレーブスの上田利治監督が猛抗議。
 1時間20分にわたる、ある意味常軌を逸した執拗な抗議は上田に同情
的だったファンも呆れさせた。
 さすがの足立も1時間を越える中断に降板を余儀なくされ、代わった
ルーキーの松本から続くチャーリー・マニエルもHRを放ち 3-0、更に8回
には大杉が2本目のHRで4-0としトドメを刺した。

 監督就任時には‘打つだけの選手は必要ない、走れて守れないとダメ’
と言い、大杉や杉浦亨にチャーリー・マニエルらは批判の矢面に立たさ
れていた。
 ところが皮肉にもスワローズのスタメンで守れて走れる選手は 3番の
若松勉と8番の水谷ぐらい。
 シリーズの帰趨を決めたのはG4でデーブ・ヒルトンの逆転2ラン。
 王手をかけたG5では9回に打った大杉の3ランがブレーブスの心をへし
折り、G7も2点目以降はホームランによるもの。

 監督の広岡達郎が否定していた

‘打つだけ’の選手によるホームランによって

もたらされたのだった。

 そして日本一で管理野球を声高にアピールしまくっていた広岡は、
翌年のシーズン中に辞任する事になるのである。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (taro)
2008-10-22 22:16:29
巨人 負けた・・
 
 
 
今日は (こーじ)
2008-10-23 23:54:16
>taro様
 今日勝って、とりあえず2勝1敗です。
 さすが上原ですよ。
 
 
 
Unknown (taro)
2008-10-24 16:38:08
ホントにとりあえずホッとしました。
これで中日に日本シリーズ行かれたりしたら・・CSを廃止しない限り野球ファン辞めますわ-_-
だけど中日ってどうしてああしぶといんですかね。
荒木だけは好きだけど。
 
 
 
あと1勝です (こーじ)
2008-10-24 23:28:20
>taro様
 やはり3位のチームが日本シリーズと言うのはマズイですよね。
 ただ3位チームがシリーズ進出して問題提起という形も・・・と思った事もありますが。
 
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