誕生日の思い出は

 今日は私の43回目の誕生日だが最も印象に残る誕生日が
94年である。
 長嶋茂雄のファンだった私は監督復帰した93年から脱腸の
手術をした99年を除いて00年まで7年宮崎に(うち5年は日帰
り)キャンプを観に通っていた。
 94年は行ったのが2月21日、両親は旅行中だった。
 監督は運動公園のサブグランドで朝練習前に走っていたの
だが、当時はまだあまり知られてなかったので報道陣しかい
なかったのだ。
 そこへ監督がマネージャーと共に来たので「昨日は誕生日
おめでとうございました」と声をかけると「ありがとう、君
どこから来たの?」と聞かれたので「福岡の田川です」と応
えた。
 長嶋さんが田川など分からないだろうと思っていたが長嶋
さんの亡くなった親友でアイク生原さんがいたのを思い出し
た。アイクさんは田川出身だったのだ。
 「福岡の田川?」と考える長嶋さんに「アイクさんの出身
地ですよ」と言うと「オオッ!君アイクと同郷か!アイツいい
ヤツだったよな、惜しい事をした」と言いつつ走り出したので
「一緒に走っていいですか?」と尋ねると「いいよ、カモン
ボーイ!」と言われジャマにならないよう外周を嬉々として
走ったものだ。
 終了後柔軟体操をして車に乗り込む前に高校時代に使用して
いたボールを持っていき「サインお願いします」と頼んだとこ
ろ「ずいぶん汚れているな」と言われた。
 実は貧乏野球部だった母校はなかなか新球を卸せず、なるべく
きれいなボールをキャッチボール用にしていたのだが3年の夏の
大会の試合前に使ったボールを記念に持って帰り、理容師修行
中の御守にしていたのだ。
 こういう事情を話すと「そうか、キミ床屋さんか、んで修行は
終わったの?」と聞かれたので「ハイおかげさまで、今は実家で
オヤジと営業してます」と応えると「そうか親子でやってるのか、
いいな・…でも親子で一緒にやるのは大変だぞ」とボソッと言われ
たのだ。当時ジャイアンツには監督の息子の一茂がいたので本音が
出たなと思ったがファンに漏らすところが妙に可笑しかった。
 このボールは今だに私の二重の宝物として保管している。
 因みに95年、96年と長嶋監督に話し掛けるチャンスがあったの
だが、‘どこから来た?’から‘アイクと同郷か、アイツいいヤツ
だったのに’という会話が3年連続して成立していたのだった。
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