昭和の終わりが近い事を実感した日

 今から30年前の今日88年9月19日に昭和天皇が大量吐血され
翌日から一気にイベントの自粛モードが全開になった。

 今から30年前の今頃は私は蒲田で働いており2日前に開幕した
ソウル五輪で湧く中で、この日は夕方から後楽園ホールに日本ミド
ル級タイトルマッチを観戦に行ったのだがメインで王者の大和武士
が挑戦者の田島義秋に立ち上がりから押しまくられ‘まさか’の4
ラウンドKO負けを喫した試合を観戦して23:00頃に寮のアパー
トに戻り五輪のダイジェスト番組を見ていた。

 そこに突然‘天皇陛下大量吐血’というニュース速報が入り度々
御所との中継が番組の合間を縫って流れる事になったのだ。

 私が観戦した日本ミドル級タイトルマッチの中継を見ようとした
のだが、ラウンドの合間に度々御所の様子や陛下の様子がレポート
され4Rで試合が終わったにも拘らずセミファイナルの中継はなく
後は天皇陛下の容態発表がどのチャンネルを見ても流れていた。

 そして翌日から井上陽水が出演していた日産セフィーロの‘みな
さん、お元気ですか~‘というCMなどが、不謹慎だという事から
流れなくなるなど世の中を自粛ムードが覆う事になるのだ。

 思えば前年の9月に昭和天皇が開腹手術を受ける事になった時は
大いに国民も心配していたのだが、12月ぐらいから公務に復帰さ
れていたので安心していたら前日の9月18日に予定していた大相撲
秋場所の観戦が高熱が続いて急遽中止という事になった時も‘そん
な事もあるだろう’ぐらいに思っていたのだ。

 それが先述したように大量吐血のニュースが入って来ただけで
なく、吐血や下血のニュースが次々に流れる中で翌日の新聞では
‘天皇陛下ご重体’の文字が踊り‘仮に崩御されたらソウル五輪
の出場選手達は引き上げるのか?’などという話もまことしやか
に囁かれる始末。

 その後は輸血などの処置で容体は持ち直し当初は陛下の容体を
主治医達の記者会見が生中継のような形で1時間毎に流れていた
のが、日にちが進むにつれ脈拍や体温に血圧の数値がテロップの
みで流れる形になっていた。

 とりあえず年は越せそうだったが昭和の終わりが近い事を嫌で
も実感するものだった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (Taro)
2018-09-20 05:06:19
懐かしいねぇ〜
30年前か〜、自分高2で17だよ^^;
 
 
 
あの頃は若かった (こーじ)
2018-09-20 22:30:20
>Taro様
 私も当時24ですからね。

 そろそろ‘毎回カットが回って来る’と実感した頃でしたよね。
 それが今でもこういう付き合いが続いているのは素晴らしいし、ありがたいですよ。
 
 
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