アントニオ猪木―ウィリー・ウイリアムス戦から40年

 今から40年前の今日80年2月27日に蔵前国技館で行われた
のが、アントニオ猪木―ウィリー・ウイリアムス戦だ。

 76年2月にミュンヘン五輪柔道2冠のウィレム・ルスカとの
対戦に始まった異種格闘技戦は6月に行われたモハメド・アリ
戦をピークに対戦相手が徐々にパワーダウンしていた中、熊
殺しの異名を取る極真空手のウィリー・ウイリアムス相手の
試合は久々のビッグネームという事で試合前から注目されて
いた。

 ウィリーは映画・史上最強のカラテで巨大な熊と戦うシーンで
有名だったし、原作の空手バカ一代にも登場し香港カンフー決戦
編では極真側として参戦していたので知名度は十分だった。

 試合前から極真空手ープロレスの様相だったので殺気立った
両陣営の緊迫した雰囲気がTV画面から伝わってきており、凄ま
じい試合が予想された一方ルール的にはプロレスに不利な寝技
5秒以内があった。

 試合が始まると寝技5秒以内のルールのためか2m近い巨体を
生かしたウィリーの豪快な蹴りや突きが猪木を追い回す形で進
むのだが、迎えた4Rに両者がもつれたままリング下に転落する
と双方のセコンドが入り乱れた乱闘が起こる中で猪木が場外で
腕ひしぎ十字固めを決めたまま両者リングアウト。

 猪木は肋骨にヒビが入り、ウィリーは腕十字で右ヒジの腱を
痛めたことによる両者ドクターストップの引き分けとなった。

 実はこの日の夜に長渕剛のオールナイトニッポンの中でも
パーソナリティを演じた長渕が‘いやぁ~凄い試合だったけど、
今ごろ2人して焼肉でも食べてるんじゃないの’的な発言をして
いたように、この頃には異種格闘技戦がショーだというのを多
くの視聴者が薄々感づいていたわけで実際に新日本プロレスの
看板を背負った猪木と極真空手の看板を背負ったウィリーでは
こういう結末が一番納得するという結論になった。

 たしかに3年前の6月に行われたモハメド・アリー猪木戦のよ
うな猪木が寝転がって、アリが動き回るのを45分間延々と見さ
せられた末の引き分けよりも観客や視聴者は喜ぶのではないか
と思った次第。

 今ではUFCのような異種格闘技戦というジャンルができてい
るので、こういったカードはできないしショーと割り切って見
るため当時のような殺気立った雰囲気はないだろう。

 それを考えるとフィクションのような試合を見られた我々は
幸運だったのかもしれないと思ったりする。

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