山本小鉄氏を悼む

山本小鉄氏死去 元プロレスラー(共同通信) - goo ニュース

 元プロレスラーの山本小鉄氏が亡くなったという記事を昨日のニュースで
知った。
 死因は低酸素性脳症という事らしいが68歳とは あまりに早過ぎる死だし
柔道のアントン・ヘーシンクの訃報に続く2日連続で悲報が流れる形となった。

  山本小鉄といえば我々は星野勘太郎と組んだヤマハ・ブラザースを思い
出す。
 スキンヘッドに白いショートタイツを穿いて小柄ながらファイト溢れる戦い
ぶりを見せていたしタイガージェット・シンなどから凶器攻撃を受け血まみれ
になりながらも向かって行く姿が忘れられない。

 前田日明や高田延彦に藤原喜明や船木誠勝など後にUWFをはじめとした
総合格闘技の旗手となった選手達を指導して鍛え上げていたようで、竹刀を
持って仁王立ちしている姿は本当にサマになっていた。

 81年からは解説者として放送席に座っていたが、忘れられないのが猪木
が 89年に久々に試合した時に‘ブランクは隠せない、たまに出てきて試合を
してもダメ’と かなり辛辣に批判していた事。

 また新日の特番が水曜スペシャルでOAされた時に生番組だったからか、
冒頭にスクワットの最高回数を尋ねられて‘数えた事がないけど番組中
ずっと続けられますよ’と言って約1時間半の間ずっと休みなくやっていた
のは語り草だった。

 馬場や猪木に坂口征二らの影で目立たなかったが、貴重なバイブレイヤー
というポジションを きっちりこなした昭和の名レスラーの1人だろう。

 ご冥福をお祈りします。

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コメント
 
 
 
また一人、少年時代のヒーローが・・・ (吉法師)
2010-08-31 05:26:33
星になっちゃった。山本小鉄さん、まだ68歳だったんですよね…

170cmそこそこの小兵ながら、同じく小柄な星野勘太郎とのコンビ・ヤマハブラザースで日米マットで大暴れ。シングルでは自分の倍近い体重の巨漢、ゴリラ・モンスーンにも勝った事もある名レスラー。
私らよりももう少し後の世代には、新日本プロレスのTV中継の解説者としての方が馴染み深いかもしれませんが、やはり星野勘太郎とのタッグでのトップロープからのニードロップ、フライングソーセージなどの飛び技のイメージが強いです。

タイガー・ジェット・シンの日本初登場の際、私服で乱入したシンの矢面に立ち、例のサーベルで滅多打ちに遭い、シンの狂虎というイメージ作りに一役買ったのも、小鉄さんだったんですよね。
ヤマハブラザースってどういう意味なんだだ?と幼い頃は不思議でしたが、後にオートバイに乗るようになってから「ヤマハ=小型高性能って事だったのか!」と妙に納得('60年代後期のヤマハ製オートバイは小排気量ながら高性能な物が多く、世界初の本格的市販オフロードバイクもヤマハ製だった)した覚えがありました。
ヘーシンクさんに続いての訃報、ご冥福をお祈りします。

 
 
 
突然すぎて (soshi-s)
2010-08-31 22:26:33
本当にこの訃報には驚きました。
つい最近までスポーツ新聞で連載していたコラムを
読みながら「鬼軍曹は健在だなぁ」と楽しんでいたんですが。

自分の世代では現役時代はあまり解りませんが
TVの解説、指導者としての活躍は新日ファンとしては
切っても切れない存在でした。

個人的には新日が標榜する「ストロングスタイル」を
実践し伝承して一番体現していた方だと思います。

心からご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2010-09-01 00:02:51
>吉法師様
 私も最初はヤマハブラザースって何?と思った事がありましたよ。

 タイガージェット・シンのサーベルに乱打されたシーンはかなり衝撃的でしたが、これを覚えているのは40代半ば以降の人たちでしょうからね。

 タッグはエースとやられ役のケースが多いですが、
星野とのタッグは互角のタッグだった気がします。

>soshi-s様
 やはり驚きますよね、この間まで元気にしていたのに。

 新日のストロングスタイル路線は小鉄氏の尽力によるものが大きいと改めて感じた次第ですよ。
 
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