久しぶりに昭和の頃の世界戦を実感

 早いものでゲンナジー・ゴロフキンー村田諒太のIBF&WBAミドル
級統一戦が行われて1週間が経つ。

 この1週間ゴロフキンー村田戦の余韻が残っている感じだったし、
3月31日にゴロフキンが来日した頃からワクワク感が続いていたの
だから昭和の世界戦はこうだったよな…と実感する次第。

 やはりゴロフキンは強かったし村田も‘何ラウンドで倒されるのか’
という不安の中で、前半から村田がボディを中心に肉薄しただけで
なくペースを握ったゴロフキンに対し連打を浴びながら負けずに打
ち返すシーンも多く後日動画サイトで見る機会があったが手に汗握
る感じだった。

 世界戦というのは世界のトップと臆せずに持てる力の全てをかけ
て挑むというのが最大の魅力で、70年代前半の頃までは団体は2つ
だし階級も11階級だったので世界のハードルは高かった。

 ところが80年代に入ると階級が増殖し今では18階級になっただけ
でなく、団体も90年代までに4団体になり世界王者と名乗っている
のも22人から最低72人になっているので世界王者の価値が低下し
た感が強い。

 こうなると現在では各階級で最も強い相手と戦う事に価値観を
見出すしかないわけだし、今回来日したゲンナジー・ゴロフキン
のような王者と対戦するのが最終的な目標になるわけだ。

 以前なら世界王者になって長く防衛していれば知名度が上がり
ファイトマネーも上がっていくというのが定番だったが、今や軽
い階級なら何度防衛しても知名度も上がらず収入も低いというの
はWBC:Lフライ級タイトルを8度防衛した寺地拳四朗や一度は寺地
に勝った矢吹正道が証明している。

 ミニマム級やLフライ級などでは中南米か東アジアの選手としか
戦う可能性はないので、本当の意味で‘世界’というとSフェザー級
あたりからでないと難しいと思った方がいいだろう。

 もはやスーパーが付いたりする軽い階級のタイトルを取って長
く防衛するよりも強い相手と戦っていくというのが最大の価値観
になっており、20世紀の価値観ではボクシング関係者は生き残れ
ないのではないかと思ったりする。

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