宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

虚明の間

2006年04月22日 | Weblog
これもスーフィーの伝承です。
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聖者のほまれ高きアブド・アルカディールの道場
には常にあらゆる神秘家達が集い、また様々な
伝統に対して最高の礼節と尊敬が払われていた。

ある日この道場に、ホラサーンとイラクとエジプトの
導師が無学な三人のラバ追い達に連れられてやって
来た。この導師達はメッカでラバ追い達に出会い、
この道場への道案内を頼んだのだった。
導師達は道中ラバ追い達の粗野でふざけた態度に
悩まされ、道場を目にした時にはこれで彼らと別れる
事が出来、偉大な師にまみえる事が出来るのだと
喜びがこみ上げてきた。

異例な事に、偉大なる師アブド・アルカディールは
この導師達を出迎えに出て来た。師はラバ追い達には
声をかけなかったが、その夜に導師達が自室に戻ろうと
していると、偶然にも師がラバ追い達に就眠の声をかけて
いるのを目撃した。師は一人ずつ彼らの手をとって祝福
したのであった。導師達は驚くと同時に、彼らこそが秘密の
長老であるのだと知った。

三人の導師達は彼らの後をつけて行き、声をかけた。
するとラバ追いの頭はうんざりした口調で答えた。
「長老達よ、早く部屋に帰ってあのわけのわからない言葉を
唱える礼拝に精を出せばいいではないか。わしらはこの旅の
間中の36日間もあんたらの話す"スーフィーの道"とか
"真理の探求"とやらにさんざん悩ませてきたのだ。わしらの様な
無学なラバ追いはそんな話しになど何の興味もないのだ。」

この様に、秘密のスーフィーとうわべだけの導師とは、全く
異なっている。
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この話しはわたくしが特に好きなものでありますが、
日本でもアメリカでも、宗教的な外見や権威によってのみ判断
される事や、受け取られ方の相違を生み出す事が少なくない様に
感じます。それが正当な場合もありますが、しかし"真正"が
必ずしも宗教的な外見を装っているとは限らない事は、実際古来
からの事である様に思われます。
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