宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

行くべきところ

2006年04月25日 | Weblog
「薬科大学の口頭試験で教授が質問した。
ある薬を患者にどのくらい投与すればよいか、
というのが質問だった。
学生が答えた。『18グレンです。』
数分して学生はハッと気がついて言った。
『先生、さっきの答えを訂正したいのですが、
2グレンとすべきでした。』
教授はじっと時計を見つめてそれから言った。
『残念だがね、もう遅すぎる。患者は二分前に
死んでしまったよ。』」

ネット上という限られた場所において、言葉の誤用によって
しばしば誤解が生じたり、また互いの意思の疎通の限界を感じ
られます状況をしばしば目にします。
また時に言葉の乱用、過剰なほどの無節制で無責任極まりない
言動も時折目にします。
人間は誰も完全ではなく、また誰でも過失を犯す可能性が
ありますが、しかしそれでも、例えネット上においても、
言葉を大切に、慎重に用いる意義の再考の必要を感じます。

「つまり、人はその言葉によって作る事も壊す事も、祝福する
事も呪詛する事も出来るのだ。実際の所、この二十世紀ほど
幅広く言葉の力が開陳された時代は他にない。
政治家達は発する言葉の力によって選挙される。
言葉の力は現代の宣伝・広告の分野でもはっきりと見る事が
出来る。そこではたとえ価値のないものでも巧妙な言葉によって
素晴らしい物であるかの様に見せる事が出来る。
つまり言葉の力というものは、誤った使い方をされる事も可能
なのだ。」(サッチダーナンダ)
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