宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「人はなぜ生きるのだ」

2004年11月20日 | Weblog
「私に会いたくば遍照金剛と呼ぶがよい。必ずその人と
共にあり、その人と共に生きよう。」

弘法大師の入定1150年御遠忌の記念に作られた「空海」という
映画の中でこれらの言葉が語られるらしい。わたくしは未だ
視聴の機会を得ていないが、いつかその機会が得られる事を
願っている。

瑩山禅師の母、観世音菩薩への信仰の篤かった懐観大姉が懐妊中、
「生まれてくる子が、世のために役立つ子なら無事に出産させ給え。
さもなくば、威力もて胎内に朽失せしめ給え。」と熱心に祈り、
そうして生まれた子が瑩山禅師であったという事である。



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「聖ソフィア祝詞」

2004年11月19日 | Weblog





(  `m´)  「…聖ソフィアは

           伊邪那美命と 西王母が融合したような神格であり、
 
           この聖ソフィア祝詞を誦す事で

           その功徳を受ける事ができます。」


★「めでたし まことの光に満ちみてし ソフィア
  御身の神夫に一致して
  御身は 光の乙女の み姿
  まことの霊は 御身より来たりたもう

  聖なるソフィア
  油塗られし おん母よ
  今も 臨終の時も
  我らに 油を塗りて祝し
  我らを受け取り
  互いのうちに 我らを光り輝かせたまえ
  アーメン。」
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「北極眞武大帝」

2004年11月18日 | Weblog







(  `m´) 「…この聖号を 日常的に誦す事で
          願いが叶えられられるとされます。」


・「北極眞武大帝(ほっきょくしんぶたいてい)。」




(  `m´) 「…この聖号を 日常的に誦す事で
          消災と福が与えられるとされます。」

・「玉虚玄天(ぎょくこげんてん)。」

・「霊感玄天(れいかんげんてん)。」
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「閻魔王を歓喜させ 地獄の有情を一時的に救い出す」

2004年11月17日 | Weblog








左右の 中指と薬指を曲げて合掌し
残りの指を立てて 指先同士の間を少し離して誦す。


「ノウマク・ラトナ・トラヤーヤー
ノウマク・アリヤ・ボリョキーチー
シフラーヤー
ボジサットバヤ・マカサットバヤ
マカキャルニキャヤ
タドヤター
オン・タリタリ・シッタリ・シッシッタリ
シッリ・ソワカ。」


そのようにして 地獄の門が一時的に開き
地獄の有情が一時的に解放され
閻魔王が歓喜を感じられるとされる。
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「東北地方の特異な家系と土地」

2004年11月16日 | Weblog






色々な方の体験談を見ますと、
特異な家系や祭祀、土地が多いのは
東北と四国 そして古墳のある地域一帯のようです。


以下の体験談も 東北にある一つの特異な家系の方のものです。

以下 コピペです。

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小学生の頃の話。
うちの母がちょっと難しい病気になって、遠くの病院に入院した。
父も母の病院に通うために家を空けることが多くなって、俺のことをあまりかまえなくなった。
近所の人や親戚、知り合いが家のことを手伝ってくれたり、協力してはくれてたみたいだけど、
それでも負担が大きかったんだろうな。
夏休みの一ヶ月くらい、父方の大伯母の家に世話になることになった。

大伯母さんが住んでるのは町と町の間の山あいで、
まあ電気は通ってるけど、隣近所は一番近くて十分歩いた先とかそう言う次元で、
河の水がそのまま飲めるくらい綺麗なとこだった。魚も泳いでたし。
大伯母さんは本家?の長女で墓守娘っていうのかな。
独身で早めに両親看取ってからは、古いけどしっかりした日本家屋で庭の畑で野菜作ったり、
土地を人に貸し出したりして悠々と暮らしてた。
山に道路通すときに土地が高く売れたらしく、それだけでも生活には困らなかったらしい。
うちの父は海とか山とか自然が好きだったから、それまでにも何回か大伯母の家に顔を出したことはあった。
母がいなくてさみしいのにも慣れてきたころだったし、
子供のころって気に入ってるビデオを何回も繰り返し見たりすると思うんだけど、
俺は『となりのトトロ』がお気に入りだったから、大伯母の家とかその周辺はかなりツボだったんだよね。
田舎で退屈しないように、行く前に漫画をいっぱい買ってもらえたのもうれしかった。



朝に車で出かけて、昼過ぎ頃に大伯母の家についた。
玄関のチャイムを鳴らしても、家の中で動いてる気配はするのに
大伯母はなかなか玄関まで出てこなかった。
金属製の引き戸の古い鍵(棒みたいなのつっこんで鍵かける奴)を開ける
ガチャガチャって音がして玄関が開いた。
準備は念入りにしてくれてたみたいで、客間に通されるとお菓子とかがいっぱい買ってあって、
八畳間を丸々使ってくれていいって言われた。
うちには俺の部屋ってなかったから来てよかったなーと思った。

父が挨拶を終えて帰って十分くらい経った頃、家の裏の方からココココって木を叩くような音がした。
大伯母が「センジュさんが来たな」と言って、俺は近所の人か誰かかなと思った気がする。
当時『仏ゾーン』って漫画がジャンプでやってて、
その主人公が千手観音のセンジュくんっていうんだけど、
そのことも思い出してなんか面白く感じた。
「○○(俺の名前)ちゃん、大事なごとおしえっがらこっさこ
(大事なことを教えるからこっちに来なさい)」って言われて、
大伯母に裏の方に連れて行かれた。
玄関口みたいな石の段の下は土がむき出しになってて、その前に木の壁があった。
引手も付いてたから、最初は裏口かなと思ったんだけど、
引き戸っぽく作られてるだけで実際に開くわけじゃなかった。


ココココって音は一定の間を空けて定期的にしてたんだけど、しばらくすると鳴りやんだ。
大伯母が内側から開かない戸を同じようにココココって叩くと、すぐにココココって音が返ってきた。
大伯母は俺の方を振り向いて、
返事があるうちは絶対に外に出ちゃいけないと繰り返し言って、俺にわかったかと何度も確認した。
怪談の知識とかもなかったから、そう言うものかと素直に頷いた気がする。
何回か確認するうちに、ある時返事がなくなって、
今日食べる野菜を取りに行こうと大伯母に庭に連れ出されて、トマトとかナスをもいで家に戻った。

それからは外で虫とったり釣りしたり、家にいるときは漫画読んだりテレビ見たり
(一日二時間までって制限があったけど)、
父に電話したり、大伯母に頼まれて手伝いをしたりしてた。
近くに店もないし遊び相手もいないから退屈と言えば退屈だったんだけど、
一人っ子で一人は苦じゃなかったし、
することないから絵日記描いたりドリルやったりで、
夏休みの宿題が一番さくさく進んだのは間違いなくその年だったと思う。
そんな感じで三週間くらい何事もなく過ぎていった。


来る前に買った漫画にも飽きてきた頃、
近所の人がもういない子供がおいていった漫画を貸してくれるって話になって、
その家まで出かけようとしていた。
いつもは三十分も待ってると返事が返ってこなくなるんだけど、
その日は何回叩いても返事がなくならなかった。
段々イライラして来て、かまわず表の玄関にいって、
大伯母が居間で方言で何かしら言っていたが気にせず、靴履いてガラッと戸を引いた。
戸が十センチくらい開いた時点で、
がっとすごい勢いで隙間から手が飛び出してきて俺の右手首をつかんできた。
その手は5本指なんだけど、腕も手も動物っぽい茶色い毛がびっしり生えてた。
先の尖った爪が伸びてて、明らかに人間のものじゃないのがわかって、
もう瞬間的に冷や汗がバーッて全身から噴き出た。
ものすごい力で外に引っぱり出されそうになってたところを、
何事か怒鳴りながら玄関まで駆けつけてきた大伯母が慌てて戸を閉めた。
そのセンジュさん?の腕が戸に挟まって、
尻尾踏まれたときの猫の声を何倍もひどくしたような声を上げて、腕が外に引っ込んだ。
そのスキに大伯母が急いで鍵をかけた。
すぐに外からガタガタガタって戸を開けようとする音が聞こえてきて、
大伯母は必死に戸を抑えてたけど、俺は放心してぼけーっと見てるだけだった。
磨りガラスだしガラスの面積も殆どない戸で、外にいる奴が何かはっきりと姿はわからないんだけど、
それが逆にすごく不気味だった。



どれくらい時間が経ったかわからないけど、
しばらくすると戸を開けるのを諦めたのか扉のガタガタがとまって、
裏の方で例のココココって音が鳴るようになった。
家の周りには砂利が敷いてあって足音がしないわけはないのに。
音もなくセンジュさんは家の裏に回っていってた。

ひとまずはそれで済んだらしくて、大伯母が何で言うことを聞かなかったのかと怒鳴ってた。
「○○ちゃんじゃなかったら、もっとおどげでねえ(とんでもない)のが来てた」と。
もっと怖いのって言われても、その時点で十分怖かったし、腕にはくっきり跡が残ってるしで、
パニックで大泣きしてて家に帰るってひたすらぐずってた。
大伯母が父に電話をかけて、急なことだけど翌日には迎えに来てくれることになって、
ようやく落ち着いた。
大伯母と一緒に急いで荷物をまとめた。
その日は貸してもらってた部屋じゃなくて、大伯母と同じ部屋で寝たんだけど、
裏の方でずっと例の音がしていて、怖くて殆ど眠れなかった。
翌日、迎えに来た父の車の音がして、
大伯母が裏の戸を叩きにいったのを遠目から見てたけど、幸い返事は返ってこなくて、
そのままスムーズに帰れた。

そのことがあってから、お世話になったってのに以降はまったく寄りついてなかったんだけど、
大伯母が亡くなって親戚で集まったときに、
今聞いとかないとと思ってそれとなくセンジュさんについて聞いてみた。



家を継いだ大伯母が独身だったんで、詳しい話を知ってる人はいなかったけど、
センジュさんは漢字で先住さんと書くらしいこと、
うちの家系は他所からあの山に入った人で、昔は近隣地域から浮いていたということはわかった。
そして、俺もだけど親戚のうち第一子の名前にだけは、詳しくは言えないけどある共通項がある。
もちろん大伯母も。
俺じゃなかったらもっと怖いのが来てたって言うのも、女の大伯母が家と山を継いでいることも、
もしかするとその関係かもしれないと睨んでる。

先の地震を機に本家の家は取り壊しになり土地も処分され、
その山に住んでいるうちの人間はもういないし、これから足を踏み入れることもないとは思うものの、
子供が生まれたら名前はどうすべきかと考え込んでいる。

長々とすいません。
未だにノックやチャイムに応じるのは苦手です。

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「善行」とその「手段」

2004年11月15日 | Weblog
キリスト教団体から身に覚えの無い郵便物が届いた。アフリカに
食料や医薬品を無償で提供するための寄付金を求めている手紙で
あり、こうした手紙というのはこちらでは珍しくない。

その手紙が他の手紙と大きく異なるのはごみ箱に直行しないための
奇策として、5セント(約5円)コインが貼り付けられてある事だった。
寄付をしなければコインを剥して自分のものとも出来るし、寄付をする
場合はその台紙に貼り付けたまま更に自分の寄付金額を書いて送り返し、
寄付金の支払いを小切手の同封なりクレジットカードなりで行うのである。
コインを剥がすだけの人は実際ごく少数であろう。
「あなたの良心を問う」という訳だ。

わたくしは配偶者の妹から先に断っていた彼女の家族の靴を一方的に贈られた
ことがある。その靴はデザイン的に好まない、サイズの全く合わない、
使い古されたものだった。寄付金は使い古された靴よりもはるかに役立つ
ことは間違いない。わたくし自身は貧困にあえぐ人々の生活と社会の確立に
向けて援助を行う事自体は賛成だが、寄付金なり靴を渡すなりの社会的
「善行」であっても、わたくし自身がそのための手段や方法に全面的賛同が
出来ない場合も時にはある。


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「女神のキルタン」

2004年11月13日 | Weblog





(カーリー女神)


(  `m´)「…キルタンとは インド体系の 献身ヨガにおけるマントラ歌であり、
         誦す事によって 自己の霊的深部を開く、
         人に霊的・肉体的な健康を与える 罪から解放するなど
         数多くの霊験があるとされます。」


(  `m´)「…こちらは カーリー女神(須勢理姫の奇魂)と
         ドゥルガー女神(忿怒形の伊邪那美命)のキルタンであります。」


★「オン・マーター・カーリー
  オン・マーター・ドゥルガー
  カーリー・ドゥルゲ・ナモ・ナマー
  カーリー・ドゥルゲ・ナモ・ナマー。」
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「クンダリニー覚醒の種字マントラ」

2004年11月12日 | Weblog







・「ハム。」


(  `m´) 「…この種字マントラを誦す事によって
          クンダリニーが覚醒し、悉地が得られるとされますが、
          数多く 継続して誦す事を要します。」
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「地上の喜びをへ巡りて、受難の曲にまで至ること」

2004年11月11日 | Weblog
もう二年程前の事になるが、「ブランデンベルク協奏曲」を
聴いた日だったかもしれない。その晩の夢中に一人の若い、大きな
目が印象的な婦人が登場した。彼女はやがてJ.S.バッハと婚約する
に至った。

バッハの生涯を調べ、また「バッハの思い出」という本を取り寄せ目を通す
うちに確かにそれらしい女性の存在を見つけ、またその書の記述と夢で見た
情景に同じ点を見出した。
記憶は無いのだが、それより以前に彼の生涯に関する話しを何処かで聞いて
いたのかもしれない。

わたくし自身はこの夢を見た事自体を特に気に留めなかったのだが、これに
よって結果様々な勉強の機会を与えられた様に思った。

またその後もその書を何度も熟読したのだが、この書の中で特に印象に残る一文
があった。
全ての音楽と通奏低音に関しての「神を讃美し、魂を歓喜せしむるをもって一
に究極の目的となすべきものである。」というものである。
彼の書いた音楽には宗教音楽も多いが、作品の多くより高潔な印象を受けるのはその
理念のためもあるのだろう。

彼の音楽の中に身を置く時、時に共に奏でるかの様な内側からの共振を感じる。
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「忍波羅蜜を成就する」

2004年11月10日 | Weblog






忍波羅蜜菩薩の眞言を誦し、
六波羅蜜の一つである 忍波羅蜜成就の加持を祈ります。

「オン・バギャバテイ・キツセンテイ・ダリネイ・ウンパッタ。」
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