宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「自己の一霊四魂によって自己を縛す護符」

2005年01月16日 | Weblog





この護符は 正式には羊皮紙に書写する事になっていますが
清潔な白紙でも代用できそうです。

書写して 肌身離さず持っている事で
効果があるとされます。
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来る事もなく 去る事もなき道

2005年01月15日 | Weblog
「眼を上げ ラーの舟が帆を掲げて天を走るを見よ
偉大なる神は何者にも妨げられずにその道を歩む
私の魂にも道を進ませて下さい
その東方への天への道を

私は今、全き日の光に向かって歩む
さあ進め、死のしるしは取り払われた
光り輝く宝石
私はラーの額を飾ろう

平和のうちにお前は進む
そして平和によって照らされ
時の限りなく織りなす所
永遠の住家に歩みを向ける」
(エジプト 死者の書)

「髪も、一切の装飾品も、表情もないこの石像はあまりにも美しい。
一人の人物は書いている。このような顔はめったにない。また生涯の間に
一度でもそうした表情をした者も少ない。たいていの人の表情は外部から刻
まれるものであって、このように内部からにじみ出るのではない。だから
王妃の喜びも悲しみも読み取る事は出来ない。わかるのは、王妃は今いる場所で
全き存在であるという一つの事だけだ。」

王妃の目は閉じられてはいない。だが外部の何かを観察している様でもない。
もう一人の人物は言う。「この眼は物事の流転を見透し、外の世界を完全に
自らの心に受け入れ、見守っている。」
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「餓鬼に食物を施す」

2005年01月14日 | Weblog

(  `m´) 「…餓鬼に食物を施す法は
          非常に功徳や 神仏の感応が大きいとされ、
          強く勧められているものであり」








(  `m´) 「…上の写真は
          母大陸で 外で供物を燃やして 餓鬼に捧げる修法をしながら
          撮られた写真なのですが

          無数の丸いものは 修法と行者を守る為にやってきた
          護法神達であるとの事です。」




(  `m´) 「…一つの経文では
          餓鬼に食物を施す事は
          百千倶胝の如来の功徳と等しいとありまして

          餓鬼に施す事を続ける事に専心するだけでも
          得仙の法となるのであります。」




(  `m´) 「…最も容易な方法は
          米粒を7粒以上用意し
          オン・マニ・ペメ・フンの眞言を7遍誦して
          餓鬼に施す事を念じつつ 地面に撒くというものです。」
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寒い国の寒い事情

2005年01月13日 | Weblog


どれほど力を尽くしてもどうにもならない状況は時としてある。

この地では札幌の様に、冬を前にしてタイヤを交換する習慣はない。
路面の凍結防止策として道路という道路に大量の塩化ナトリウムを
含ませている。これには凍結を一応防ぐメリットはあるが、車体の金属や塗装を
速く劣化させるデメリットもある。そして急速に融雪が進み、その後気温が
氷点下に達した日はこれだけではどうしようもなくなってしまう。
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「低級な降霊術を避けるべきであること」

2005年01月12日 | Weblog







神道や鬼道や仏教など 伝統宗教の中の降神術と違い、

こっくりさんや それに類する降霊術では 正神やその眷属が降りてくる事は決してなく、
人間に害を与える邪霊や魄が 寄り付いてくるものなので
このブログでは そうした降霊術の実践を勧めていません。

以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。

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小6の頃、アサン様(アサーン様?)という占いが学校で流行りました。
占いのターゲットとなる複数名の名前が書かれた紙の上で抜いた髪の毛の先に
五円玉を結んだものを指でつまんでぶら下げ「アサン様お嫁入り」と二度唱えます。

その後、知りたいことを質問をするとその人物の名前の上で五円玉が大きく振れ、
教えてくれるという占いでした。

簡単にいえばちょっとこっくりさんみたいな振り子のダウジングです。
でもアサン様はこっくりさんと違って恐くて危ないものという感覚ではなかったので、
クラスの女の子はみんな気軽にアサン様で遊んでいました。

その中でもK江は占いやおまじないが大好きで、
毎晩のようにアサン様をやっていたそうですが、ある日彼女は私たちに
「やり方を間違えたからもうアサン様ができなくなった」と言い出しました。

本来アサン様に使った髪の毛は必ず燃やさなくてはいけないし、
五円玉は手放さなくてはならないのですが、
K江は髪の毛と五円玉をそのまま使い続けていたそうです。
そのせいかアサン様を始めると五円玉が常に激しく振れ続け占いにならないのだとか。

それからK江の様子がおかしくなりはじめました。
いつも怯えているような態度だったり、そうかと思えば授業中に居眠りをしたり・・・。

K江と仲が良かった私たち数人のグループは彼女を心配して
学校ではできるだけ誰かが彼女のそばにいるようにしたり、
放課後もなかなか家に帰りたがらないK江を夕方まで
毎日順番で部屋に置いてあげるようにしていたのですが、
K江がグループのMの部屋に行ったある日、K江はMにこんなことを言ったそうです。

「アサン様が私の部屋を覗きにくる。ひょろひょろで歯がボロボロで恐い。」

私たちはみんなアサン様ってかわいい女の子の妖精みたいなものだと思っていたので
Mがびっくりして聞くと「違う!」と怒ります。

K江が言うにはアサン様は背が高く、細身でニヤニヤ笑う若い男の姿なのだそう。

さらには「みんながアサン様やらなくなったから私から離れていかない」と泣き始め、
お願いだから今晩アサン様やってとMに懇願したそうです。

確かにみんなK江の様子がおかしくなったのはアサン様のやり過ぎのせいではと感じていたので、
その頃にはもうアサン様をやる人はいなくなっていました。

Mが返事できずにいると、K江は怒ってMの部屋の中で突然暴れ出したそうですが、
幸いその叫び声を聞いたMの母親がすぐに止めに入り、K江は家に帰されました。

そしてそれから卒業までの数ヶ月はK江が学校に出てくることはなく、
卒業と同時にどこか他所の土地に引っ越したと聞きました。

私はアサン様を信じてはいませんでしたが、
人気者だったK江の変わり様と突然居なくなってしまったという現実が当時とても恐かったです。
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「アザカ神の加持を受ける」

2005年01月11日 | Weblog



(アザカ神のシジル)



(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…ブードゥー体系においては
            記紀に照らし合わせる中で 証明の明確ではない神もあります。」



(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…雷の神で 成長を与えるアザカ神は
            農業の神、雷の神、不動産業の神である アヂスキタカヒコネ神のように思われます。」



(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…アヂスキタカヒコネ神を供養するために
            ブードゥー体系では
            コーラやコーヒーや テキーラ
            米や豆やパン 飴や バナナなどの果物が捧げられる事が一般的とされていますが、
            用意できなければ 他の供物でもよろしいでしょう。

            灯明や香や供物を捧げて誦します。」


★「マッポテ・パニェ
  ナンド・ウェン
  アー・コウズィン・オー

  マッポテ・パニェ
  ナンド・ウェン
  アー・コウズィン・オー

  エシン・ポテ・パニェ
  エシン・ポテ・パニェ 
  ラ・コウペ・ドム。」
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初めて焼く楽しみ

2005年01月10日 | Weblog
アメリカで食後のデザートは大切なものである。それが却って人々の
肥満を助長しているのではないかとも思えるが、我が家でも分量こそ
少ないにしろ、この習慣がある。

今回はその為に、初めてマフィンを焼いた。これを作る時、通常は
銀製のマフィン型にマフィンケース(カップ形の薄紙)を入れて焼く
事になる。日本のあるサイトでは紙コップに生地を入れ、そのまま
オーブンに入れて焼く方法が紹介されていたが、中々興味深かった。
生地の分量が少ない場合、それでも良いと思う。

しかしいざ取りかかろうとした時、我が家にはマフィンケースも紙コップも
ない事に気がついた。そして結局マフィン型に紙製のコーヒーフィルターを
押し込めて焼いたのだが、それでも一応問題なく焼き上がったのだった。
とはいえ、マフィンケースを近いうちに購入したく思っている。


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彼岸の花

2005年01月09日 | Weblog
本日もカナダのテレビ番組を見ていた。アメリカでは徐々にでは
あるがチベット仏教への帰依者が増加している。今日はその
番組上でカナダの帰依者達を見た。カナダ人が瞑想し始めていた。

全く個人的にであるがキリスト教が愛の宗教であるという認識と現状
との間に少なからずギャップを感じていた。彼らは時に愛するかも
しれないが、愛の押し付けに、強制に、圧迫に感じられた事が個人的に
幾度もあった。そこには「愛さなければならない」という観念が付きまとった。
その行為は内発的というよりは聖典の字句に触発された、外発的なものに
感じられた。
しかしもちろんそれが全てであるとは思っていない。
そうした人間は、愛は、行為はわたくしが知り得るだけのものであり、
大半のキリスト信者は異なるのかもしれない。それはわからない。

カナダ人帰依者達の振る舞いを見ていた。彼らは西洋人であり、仏教国出身の
人間より「慈悲」や「内的平安」というものをもう少し理論づけて解釈して
いる様であった。
また彼らも他者に対し、寛容を、慈悲を、憐れみを示すが、熱狂的でも義務的で
も強制的でもなく、昇華された質を備えている様に見えた。それは外部から命じ
られたものではなく、内側からのものだった。

人間は慈悲深くなる程、慈悲が横溢する程、他者との分離が、境界が、差別が
一層希薄になるように思われる。
一方愛がただの義務となる時、そこには常に与え手と受け手、自己と対象、
施し手ともらい手の大きな表面的分裂が見える。その間に横たわる溝は埋め難い。

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「石と霊」

2005年01月08日 | Weblog








石には 高級な神霊だけでなく
祟り神のような存在も宿る事があり、
一般の不浄霊も 石や砂利に宿る事が多いとされ、

中には コンクリートの砂利の中に
怨念の強い霊が宿っており、
そのコンクリートを使って建てられたデパートで怪異が続出した事があったようです。

以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。

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いとこから聞いた話・・・。
函館にある西○デパートはいろいろと出るって噂がある。

いとこは23年前のオープン時、社員として働いていた。
所属を言うと関係者にバレてしまうから内緒にしてくれってことだが、
一般の売り場にいる店員ではなく上層部の人達に近い部署で普段から幹部の人達の話しを直接聞ける部署。
多少内部の極秘情報を耳にしても他言もしないでいるのが当たり前。

今回、その店が閉店するってことで教えてくれたが、出るって噂の話は上司から聞いた話らしい。

社員用の出入り口のすぐそばに商品搬入口があり大きなシャッターになっている。
普段からコンクリート打ちっぱなしのこの搬入口付近にいろいろと不気味なことが多発。
オープン直後に一度お祓いを頼んだらしいのだが、
物凄く強い怨念系の悪霊らしく徐霊できなかった。

後日、青森からもっと除霊できる人に除霊を依頼する。
除霊にはごく一部の幹部数名立会いの元社員が完全にいない定休日に実行。
自殺した女性の霊が憑いていてこの女性は男に騙されて赤子とともに自殺したらしい。

彼女の自殺した現場付近の砂利をたまたま商品管理室に柱の中のコンクリートに利用していたらしく
成仏していない霊が「重い重い」と訴えていた。

上司が言うにはこの霊の除霊中2階高さくらいまである
でかいシャッターが両手のこぶしで叩いたようにドンドンドンとへし曲がる勢いだったのと、
分厚い防火扉が風もないのにバタバタと開閉しまくりだった。
幹部数名はマジ漏らしそうなくらい怖かったとか。

現在は屋上にお清めの意味もこめて小さな鳥居がある。
その後何度か除霊はしているらしいが一番霊象がひどかったのがオープン時だったそうだ。

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「供物を下げる法」

2005年01月07日 | Weblog






(  `m´) 「…さて 諸仏に供養を捧げた後の供物などの取り扱いに就いてです。」



(  `m´) 「…捧げた物は 下げてから自分が食べたり 土に埋めたりしますが、
          不注意に供物を下げてしまうと
          諸仏諸神に捧げられた物を奪ってしまうという形になってしまうとされます。」


(  `m´) 「…ですので 供物を下げる時には
          このように誦すのがよろしいとされます。」



「願此清浄香(がんししょうじょうこう)
贖回供仏物(しょくえくぶつぶつ)
祈請仏加持(きせいぶつかじ)
増長諸福慧(ぞうちょうしょふくけい)
正法伝十方(しょうほうでんじっぽう)
皆共成正覚(かくじょうしょうがく)。」


「南無(なむ)
本師釈迦牟尼仏(ほんししゃかむにぶつ)。」(3遍誦す)

「南無(なむ)本師釈迦牟尼仏(ほんししゃかむにぶつ
南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)
南無(なむ)薬師琉璃光如来(やくしるりこうにょらい)
南無(なむ)観世音菩薩摩訶薩(かんぜおんぼさつまかさつ)
南無(なむ)地蔵菩薩摩訶薩(じぞうぼさつまかさつ)
南無(なむ)大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)
南無(なむ)清静大海衆菩薩(せいせいたいかいしゅうぼさつ)。」
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