宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

不滅の言葉

2005年01月04日 | Weblog
「私は思想か力によって成功した人々を英雄とは呼ばない。
心によって偉大であった人々だけを英雄と呼ぶ……
人格が偉大でない所に偉大な人間はいない……
成功は我々にとって重大な事ではない。肝心なのは、
偉大である事であり、偉大に見える事ではない。」
(ロマン・ロラン)

「成功」という言葉には肯定的な意味合いがある。
大統領の座にしろ、エベレスト登頂にしろ、目標体重
達成にしろ、何をもって「成功」と位置付けられるか、
その達成すべき対象だけが異なっている。

最近の出来事だった。車に乗る人間なら誰でも走行の仕方を
見て、運転者を察する事が出来る。左右に揺れて走行していれば、
「彼は酔っ払っているに違いない。」と考えられるし、ブレーキ
ばかり使用していれば「彼は初心者か視力が弱いのかもしれない。」
と推測する事も出来る。まして警官なら殊の外敏感だ。

一人の警官が町中を巡回中に、「妙な運転の車」を見かけた。不審に
思ってその後をつけていると一人の女性が降車し、橋から飛び降りた。
しかしその警官が慌てて女性の身体を上方から掴み上げ、間一髪で助かった
のだった。
その状況は一般の市民ではとても救助出来ない極めて困難なものであり、
警官もあと一秒でも遅ければ女性に助かる希望は全くなかった。

この出来事は町中に瞬く間に広まり、人々は彼を称賛し、地元のマスコミ
は彼を英雄と称した。しかし彼はただ自分の職務を果たしただけだと淡々と
語った。

この場合「人命救助においての成功」も見る事が出来るが、更に奥深い
偉大な何かが感じられた。

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