宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

パペットの思い出

2021年11月09日 | テレビ・ラジオ・映画など
よもやま話の続き

某日
NHKEテレ『ねほりんぱほりん』「香港のデモに参加した人」の回を観る。
いつもの回にも増して、ぶたの人形が演じることの直接的なメリットを感じる。
そしてぶたの人形たちの表情しぐさに、香港人である彼らや彼らの親の感情が表れていることに驚く。もしかしたら本人たちが顔を出して話をする以上に伝わってきたような気がする。
あらためて人形ってすごいなぁと思う。

ということで、前に録画してそのままになっていたNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』「心をこめる、人形を生きる~人形操演・山田はるか」を今さらながら視聴。

山田はるかさんの仕事に対する姿勢、この仕事についたきっかけ、それからの努力の日々に感銘を受ける。
この番組がきっかけで、人形操演に興味をもつ人が出てくるといいなぁと思う。

が、それはそれとして、ここからは自分の思い出話となるのであった(^^;
番組の感想で検索した方にはすみません。

何を隠そう、私は学生時代、人形劇のサークルに入っていたのだが、舞台の下にしゃがんで移動、腕はずっと上げているというあの動き、基本的にまったく同じだったので、テレビの中の今のプロの世界でもそうなんだーとちょっと嬉しかった。
と同時に、あのしんどい姿勢で人形に心を込めるという、仕事としてやるのは大変なことだとあらためて尊敬。
たぶん人形劇はかつてはサークルとしてはポピュラーで、どの大学にもあったのだと思うけれど(合同フェスみたいなのもあった)、私が入った時はまさに風前の灯、部員数が片手を越えることはなかった。そして現在はもう存在していないようだ。
当時は小劇場・学生演劇ブームの余勢があったのかな、演劇部の公演はやっぱり本格的で、それに比べると非常に地味・・・ではあったが、人形、舞台背景、小道具と全部手作りで、脚本も音響も自分たちで用意していた。全員出演で「あめんぼあかいな」の発声練習もしていた。友達がいなくて、照明やチケットもぎのお手伝いを頼む人がいなかったのが辛かったが(立派な他部員がいつも彼女の友達に頼んでくれていた)、それなりにがんばっていた・・・ということにしておこう(^^;
そういえば、自分で書いた脚本に「一太郎」と「花子」という登場人物を出したことがあったなぁと思い出す。「花子」は文字通りフラワーロックのような姿かたちだったが。自分ではどちらのソフトも使ったことなかったと思うけど・・・

「人形劇」で思い出す、人形劇ではない作品
『まりの きみの声が』(太刀掛秀子さんによる「りぼん」連載まんが コミックス出版年は1981年だそう。実は内容は全然覚えていないのだけど、タイトルからすると声優の方に重きがおかれていたのかな?)
『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー監督による映画 人形劇に夢中で目をキラキラさせている子供たちが映る一場面がある)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿