4月2日夜ネットニュースで坂本龍一さんの訃報を知る。
3月28日死去 71歳 とのこと。
下世話だが、関係者のコメントが続々とニュース記事になるなか、矢野さんへの注目を心配してしまったのだけど、5日の twitter を目にして、泣いた。
矢野さんにしか書けない言葉だ。
俗人としては「あらゆる意味において、これ以上の言葉はない。さすが」と感服したことも書いておこう。
美雨さんの文章にも泣いたな...
追悼に坂本さんの曲を聴きながら、3月末の桜の咲く季節に逝かれた意味を思ったりもした。
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個人的には、訃報の翌日は休みということもあって、何をする気力もなくぼんやり過ごしてしまったのだけど、でも、最期まで音楽も社会的な発信も続けていた坂本さんの死を、自分のやる気のなさの言い訳にしてはいけない、とも思った。
恥ずかしながら「坂本龍一と会って話ができる自分になる」が、ひそかに昔からの私の野望だったのだけど、それは永遠にかなわないことになった。具体的に思い描いて近づいていくということをしていなかったのは失敗だった。でもどんな自分になっていたとしても、ただのファンで舞いあがってしまうことは今と同じだろう。
何がしたかったのかなと考えるに、ひとりのファンがここにいるということを伝えたかったのか…なぁ…
2017年のワタリウム美術館での「設置音楽展」に、ふせんにメッセージを書いて貼るコーナーがあって、全然うまく書けなくて悔やまれたけど、でも今はつたなくても伝えられたことはよかったと振り返った。
(日常で触れる音楽は車の中で聴く iPhone くらいで…みたいなことを書いたと思うのだが、後日なにかのインタビューで、そういう人にも届くような...ということ言っていた(ような気がする)ので、あ、それ私、と勝手に妄想を広げた当時^^;)
SNSでいくらでも交流できる現在、書くだけのブログは、今や、昭和時代の「風船に手紙をつけて飛ばす」「瓶に手紙を入れて川に流す」的な行為だけど、一応公開ブログで文章を書いておいたことも、自分の中ではよかった、ということにしておく。
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