一葉一楽

寺社百景

甚目寺 ー 網にかかった観音像

2015-02-05 13:37:23 | 寺院
「張州府志」(宝暦二年(1752)完成)に「此地有漁人甚目龍麿者。下網海中得此像。因建寺」とあり、善光寺阿弥陀像とともに百済より伝来とある。同じ様な伝承が浅草寺にもあるが、いずれも仏像が朝鮮半島より伝来したことを物語る。甚目寺の秘仏は、これまた秘仏の十一面観音の胎内仏となり観音信仰の核となっている。
堂舎が造営されたのは白鳳八年(668)と伝わる。現に白鳳期の瓦が出土しており、現在の境内は古代の伽藍を踏襲しているようである。塔の心礎が残るが、これも現三重塔の場所にあったとのことである。康和五年(1103)再営後、天治元年(1124)地震で倒壊。建仁元年(1201)聖観上人が再興している。類型的ではあるが「一遍上人絵伝」(正安元年(1299)完成)に描かれた伽藍であろう。「絵伝」に描かれた楼門は、建久七年(1196)梶原景時奉行で建立された南大門である。


  南大門

天正十三年(1586)にも地震あり、本堂が倒壊。寛永四年(1627)に三重塔、寛永十一年(1634)に東門が再建されている。三重塔は名古屋両替商の寄進である。いわば民間の力での再興である。康和また建仁期でも、在地官吏とみられる大江氏による再建であり、地元の経済力が寄与したのではないかと見られる。地元の観音信仰の強さが背景にあるのは、言うまでもない。

  三重塔

 東門

(注)2014年8月撮影
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