一葉一楽

寺社百景

金鑚神社 ー 神社に残る塔

2016-05-04 14:58:30 | 神社
参道の横、高くなったところに多宝塔が残る。天文三年(1534)丹党阿保氏の寄進、金鑚神社の別当寺であった大光普照寺への寄進、である。亀腹は板張りで、来迎柱を側柱より後退させた小振りの多宝塔である。北条氏康に攻められ御嶽城が落城した時、さらには元禄十一年(1698)の全山焼失、神仏分離令の時も寺院所有の塔として残った。しかし明治二十二年(1889)埼玉県の要望で神社に譲渡された。児玉町から鬼石への新道開通により、社域、寺域の変更があったためであろう。



分離令までは、大光普照寺の奥之院金鑚大明神であった。元禄の大火の後であろうか「金鑚大明神本社再建勧進帳」が残る。拝殿は再建を果たしたのであろう、明治十七年(1884)には「拝殿改造願」が出され、明治三十五年(1902)には伊東忠太設計の拝殿・中門祝詞舎が竣工した。
神体山は御室ガ嶽という。遥拝所であったろう元宮、元森神社からは御嶽山の尾根にしか見えないが、大光普照寺創建時、奥之院という形で遷座したのであろうか。山の名も御室、御諸、三諸からきたように思え、中世本地佛を釈迦とした時もあったようだが、自然神から人格神へ転化することなく、実体の消滅とともに、御室山を恣意的に神体山としたのではないかと思われる。




(注)2016年4月撮影 ⒸKanju

金鑚神社は児玉党の総鎮守で、祭神は天照皇太神、素戔嗚尊、そして日本武尊と「金鑚神社鎮座之由来記」にある。一方「新編武蔵風土記稿」では、金山彦神或いは素戔嗚尊とする。また阿保氏の支配地でもある。児玉党の本拠地には天照皇太神、素戔嗚尊、日本武尊を祭神とする本庄金鑚神社がある。「由来記」は児玉党の子孫が分霊するのにあたって書かれており、本庄金鑚神社勧請ということであったのかも知れない。


Kanasana-Jinja has no main shrine building, where the obeject of worship is the mountain instead. Flint material- chalcopyrite or pyrite? - mined was believed as "Yorishiro" the devine spirit enshrined. When nature deities descended to human dwellings or brought into a political framework, nature worship would convert to personified god. But in the case of Kanasana-jinja deities have been still existing in nature.
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