一時僕は九谷焼の鮮やかな絵が描かれている焼物が好きでした。
あの古九谷の芸術的な色使いのものではなく(あれらはとても高価な物でもあります)
けばけばしく安っぽいとも評価される新九谷と呼ばれる明治時代に描かれた焼物です。
それらは輸出用に描かれたらしくイギリスやフランスのアンティーク屋やブーツフェアなどでもよく見かけ値段もそんなには高くはないものです。
こちらに来てそれらを買ったことはないのですが日本にいた頃はよく骨董市に出かけ徳利だけを買い集めていました。
昭和になってからの絵柄は好きではなくとにかく明治から大正時代の雰囲気のあるものを集めたりもらったりしながら今では50本以上にもなったでしょうか。
それらを入れて陳列してあったキャビネットの鍵が十年以上前から全く見当たらなくなってしまい次に開ける時はドアの鍵を壊すしかないだろうと思っていたところキッチンの棚の片隅からひょっこり出てきたのです。
最近見はじめたブログ“記憶の扉”に出てくる昭和30年代の白黒写真を見ているとあの頃にも確実にあった “色” というものが不思議なことにほとんど脳裏に浮かんでこないということに気がつきました。
“色” は記憶から抹消されるものなのでしょうか。
明治時代のしゃれた料亭で使われていた物でしょうか、
それとも季節限定で使われていた物でしょうか、
あの頃にも確実に“色”は存在し酒席を華やかにしていたのでしょう。
今日の箴言
美しい物の中にはあまりにも完全にできあがった時よりも未完成のままの時のほうが光って見える物がある。
若くても美しくなければ何もならないし美しくても若くなければ何もならない。
(ラ.ロシュフコウ)