難読症

2010-04-04 | Weblog


あの日の青空はほんの一瞬のできごとだった、
それにもかかわらず桜は咲き出してくれた。




















英語圏やフランス語圏の人々の中には “Dyslexia” というアルファベットで書かれた単語通りに読んで理解できない症状や意図した言葉を正確に文字に表すことができない人たちが10人に一人はいるという。
文字がほぼ発音通りに表記されるイタリア語圏ではすくないという。
これは知的能力や学習能力に特に異常が無いにもかかわらずありえることで現に優れた学者にも起これば芸術の分野で才能を発揮している人達にも多く表れるということだ。

日本語では漢字という表意文字とかなという表音文字を使ってきたために間違って言葉を認識することは英語圏に比べると少ないそうだ。

僕の場合は最近日本語でびっしり書かれたブログなどにであうと
数行読み始めたところで全く読む気が失せたり漢字とひらがなの文字の羅列に圧倒され読めば理解できることもなぜか億劫になってきている。
コンピューターのスクリーンに現れる電子文字が悪いのか老眼が進んできているのか読むことに根気が必要になってきているのは確かだ。













今日の箴言

心の健康も、あてにならないことにかけては体の健康と変らない。
だから人は、たとえ情熱からおよそ縁遠いように見えても,
元気な時に病気になるのと同じに,何時情熱にとりつかれるかわからないのである。

(ラ・ロシュフコウ)