私が色々学んだのは大きな理由があった。それはダンス教師になって、他人
に教えることが好きなことに気がついたこと、また、ダンスは一生続けられる
仕事ではないと思ったことだ。自分にセンスがないことも大きな原因だったが
社会的にも、その時代はあまり認められていない職業だと感じたからだ。
間もなく夫と一緒にヨーガを始めたが、一生懸命だったためか、半年ほどで
先生に声をかけられ、先生から特訓されて二年程してそこでインストラクター
になった。その教室で「催眠法の一日セミナー」にあったが、そこで初体験した
リラクゼーションに感銘し「こんな素晴らしい状態を、自分の力で他人を誘導
できたら」と、すぐにそのセミナーの講師の元に入門した。
※その教室で一度だけご指導受けたヨーガの大御所左保田鶴治先生
それから地方に住む先生の元に、約10カ月間通ったが、それが私の心理学への道
になったがに、それが楽しくて仕方がなかった。
その時頃はすでに各大学で一般向きの講座を開いていた。初めて学んだのが上智大学の
「心理学入門」だったが、大学を出ていない私は、その階段教室に座って初めて学習した
ときは、とても嬉しかった。その時の教授はこうおっしゃったのも、私の生きて行くための
方向性が明確になった。それは「カウンセラーはいくら学識があっても、その人の持てる
資質によりなれない人も多い。たとえ学歴がなくてもその人の持てる性格である程度の勉強
をすれば必ずなれるものだ」の言葉だった。
※石川教授の研究所で「粘土によるワーク」石川中先生
その言葉に勇気づけられて、私は心理学に関するものを色々と学んだ。
カウンセリング、催眠医学、大脳生理学、心身医学、交流分析、ユングの夢分析
自律訓練法、フロイト入門、サイバネーション療法など、さまざまな心理療法
を一体どれほど勉強したか分からないほどだ。
「心身医学」の講座は当時東大医学部教授の石川中先生だったが、すぐに
その講座に入った。すると先生のアシスタントから「先生の研究所が神楽坂に
あるので、大変勉強になるのでそこに入会しないか」と勧められて、喜んで入会し
しばらくそこに通った。その頃はまだ東大病院でできたばかり「心療内科」の
患者さんがほとんどだったが、石川先生は「能里子さんのように明るい人がいて
くれると、とても助かるよ」と時々おっしゃった。
その後日本で初めての「ゲシュタルト療法が」半年間にわたり、東大分院で
開催された。アメリカ人の女性講師で、同時通訳がついて、全て英語で行われた。
大学教授、医師、心理カウンセラー、ケースワーカーなど10人あまりだったが
そのダイナミックデエキサイティングなワークショップで、心の持つ不可解さを
知って、ますます心理学にのめり込んだ。
に教えることが好きなことに気がついたこと、また、ダンスは一生続けられる
仕事ではないと思ったことだ。自分にセンスがないことも大きな原因だったが
社会的にも、その時代はあまり認められていない職業だと感じたからだ。
間もなく夫と一緒にヨーガを始めたが、一生懸命だったためか、半年ほどで
先生に声をかけられ、先生から特訓されて二年程してそこでインストラクター
になった。その教室で「催眠法の一日セミナー」にあったが、そこで初体験した
リラクゼーションに感銘し「こんな素晴らしい状態を、自分の力で他人を誘導
できたら」と、すぐにそのセミナーの講師の元に入門した。
※その教室で一度だけご指導受けたヨーガの大御所左保田鶴治先生
それから地方に住む先生の元に、約10カ月間通ったが、それが私の心理学への道
になったがに、それが楽しくて仕方がなかった。
その時頃はすでに各大学で一般向きの講座を開いていた。初めて学んだのが上智大学の
「心理学入門」だったが、大学を出ていない私は、その階段教室に座って初めて学習した
ときは、とても嬉しかった。その時の教授はこうおっしゃったのも、私の生きて行くための
方向性が明確になった。それは「カウンセラーはいくら学識があっても、その人の持てる
資質によりなれない人も多い。たとえ学歴がなくてもその人の持てる性格である程度の勉強
をすれば必ずなれるものだ」の言葉だった。
※石川教授の研究所で「粘土によるワーク」石川中先生
その言葉に勇気づけられて、私は心理学に関するものを色々と学んだ。
カウンセリング、催眠医学、大脳生理学、心身医学、交流分析、ユングの夢分析
自律訓練法、フロイト入門、サイバネーション療法など、さまざまな心理療法
を一体どれほど勉強したか分からないほどだ。
「心身医学」の講座は当時東大医学部教授の石川中先生だったが、すぐに
その講座に入った。すると先生のアシスタントから「先生の研究所が神楽坂に
あるので、大変勉強になるのでそこに入会しないか」と勧められて、喜んで入会し
しばらくそこに通った。その頃はまだ東大病院でできたばかり「心療内科」の
患者さんがほとんどだったが、石川先生は「能里子さんのように明るい人がいて
くれると、とても助かるよ」と時々おっしゃった。
その後日本で初めての「ゲシュタルト療法が」半年間にわたり、東大分院で
開催された。アメリカ人の女性講師で、同時通訳がついて、全て英語で行われた。
大学教授、医師、心理カウンセラー、ケースワーカーなど10人あまりだったが
そのダイナミックデエキサイティングなワークショップで、心の持つ不可解さを
知って、ますます心理学にのめり込んだ。