ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

いつも燃えて走って生きていた (4)

2017-10-09 07:09:48 | エッセー
 私は家庭の事情で、生後7カ月で母に引き離されました。
「三つ子の魂百まで」と言うように、自分ではまったく覚えていないのに
潜在意識がしっかり記憶しているためか、この年齢になっても、性格の中に
屈折した部分や、どうしようもない寂寥感など、他人と違う部分が随分
あるのです。そんな自分自身の内面が知りたくて、心理学にのめりこんだこと
も、ある程度自分自身が理解でき、精神的な成長ができたのかも知れません。
 昔親しかった精神科医にある日「あなたの心の中には大きな穴がぽっかり
あいていて、それを埋めるために色々な事をやるのだね」と言われ、私は
ハッと気づきました。確かに・・・「さすがに精神科医、私を良く観察して
分析している」と思いましたが、私の激しい情熱は、もしかしたらその代償と
言えるかも知れないと感じています。
※私自身の事を話して欲しいとの要望で配布した資料?はヒーリングでした。

 仕事や家庭を持ちながら、次から次へと興味を持ったものは、片っぱしから
勉強し、その結果が現在の私なのでしょう。そのためには大らかな夫の理解
(彼は脅かされているから、と言いますが)があったからだこそと、今でも
大変感謝をしています。40代にインドのヨーガの先生から「エイジレス・ベービー」
と言われ、中学生の娘からは「ママは私の妹みたい」と、言われた何とも幼稚
で頼りない私です。欠点だらけですが、天性の明るさや、天真爛漫さ、それらが
まったく計算した訳ではないのに、色々な意味で私に大変有利に働いたことは確か
なことでしょう。でも、真面目で好きな事は一所懸命、責任感の強さ、感謝の気持ち
義理人情は人並み以上と、自負しているので、それらも役立っているのは確かです。
 鈍才の私ですが比較的カンが良く、いつも時代の先取りをして生きてきましたが
色々努力した結果学歴のない私ですが、これだけの仕事ができるようになりました。
※よみうりカルチャーリーフレット
 
 ダンス教師(ソシアル、ディスコフラ)ヨーガ指導者(インドのアシュラムより
指導者ネーム 限りなき愛授与)心理カウンセラー(1998年、世界心理治療学会
北京でプレゼンテーション)作家(著書41冊)講演活動(全国的)ヒーラー
(レイキティチャー1999年取得、それ以前よりさまざまな精神世界を研鑽)
ヨーガ教室、ダンス・スタジオ、カウンセリング・ルームの経営と指導、その他にも
まだ沢山ありました。先日私のスタジオの借主さんのヨーガの先生と相談して
来年一月からそれらを全て統合して、「超高齢化社会に生きるために、20歳心身が
若くなるため」のような内容のクラスを、週一回指導することにしました。
 少々おこがましいのですが、おそらく私だけしか指導できない画期的なクラスの
ために、現在いろいろ案を練っていますが、それが楽しくてならない私です。
※人事院研修所でキャリア組で講演したお礼状
コメント
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