昔なので記憶がおぼろげで前後するかしれないが、朝カルで「右脳俳句」と
言う講座に入った。それは俳人でもあり、その頃「右脳開発」などで超有名な
日本医科大学教授「品川嘉也先生」だった。それから、先生が主宰なさる句会
に誘われて参加した。毎月の句会があり、それが違う世界なのでとても楽しく
毎月の楽しみになった。何度か色々な地方へ吟行もあって、先生と個人的にも
親しくなり、先生は「ヨーガをしている時の脳波がとりたい」とおっしゃって
日本医科大の研究室で脳波をとって頂いたが、その体験も面白かった。
すると、私は「すぐにアルファー波(リラッスクス)」が出るそうで、ふつうの
人とは大分波形が違うことが分かった。
句会の仲間達と私のダンススタジオで、句会を開いたのもとても楽しい思い出だ。
先生はお酒もタバコもとてもお好きだったが、とても穏やかな方で、私には大脳に
ついて個人的に具体的にやさしく解説して下ったことも忘れない。
その頃私はあるビジネス雑誌に「心と体」について連載していたが、医学的な
部分は、先生の教授室まで出向くと、嘉也先生はさっと読んで、すぐに手を入れて
下さった。私の「心の宝石函」には先生の達筆で、手直しして下さった「過呼吸症候群」の
原稿も入っていて、懐かしい思いでしばらく眺めた。
その後私の3冊目の著書「私は自分をこう変えたい」同文館出版(平成3年2月発行)の中
の1章分を、その知識が多少ある私に、出版社の要望で「大脳の不思議な世界をのぞく
(大脳生理学者品川嘉也教授に聞く)」の対談を先生にお願いした。
すると、快く引き受けて下さり、大先生との対談が実現した。
平成二年八月「京王プラザホテル、瑠璃の間」で先生と対談し、その後編集者
と4人で食事をご馳走になった。私は大先生との対談で、すっかり舞い上がり、
「何か今日の記念になるものが欲しい」と探した。そして先生が吸っていたフラ
ンス製のキレイな吸い口のついた、たばこの吸い殻をラップで丁寧に包んで
キレイなリボンをつけ大切に保存した。タバコはピンクとグリーンだったが
今ではスッカリ色あせた。私はまたそれに可愛らしいをリボンに付け替えた。
嘉也先生の思い出と共に、「私の心の宝石函」に永久保存するつもりでそっと
収めた。
言う講座に入った。それは俳人でもあり、その頃「右脳開発」などで超有名な
日本医科大学教授「品川嘉也先生」だった。それから、先生が主宰なさる句会
に誘われて参加した。毎月の句会があり、それが違う世界なのでとても楽しく
毎月の楽しみになった。何度か色々な地方へ吟行もあって、先生と個人的にも
親しくなり、先生は「ヨーガをしている時の脳波がとりたい」とおっしゃって
日本医科大の研究室で脳波をとって頂いたが、その体験も面白かった。
すると、私は「すぐにアルファー波(リラッスクス)」が出るそうで、ふつうの
人とは大分波形が違うことが分かった。
句会の仲間達と私のダンススタジオで、句会を開いたのもとても楽しい思い出だ。
先生はお酒もタバコもとてもお好きだったが、とても穏やかな方で、私には大脳に
ついて個人的に具体的にやさしく解説して下ったことも忘れない。
その頃私はあるビジネス雑誌に「心と体」について連載していたが、医学的な
部分は、先生の教授室まで出向くと、嘉也先生はさっと読んで、すぐに手を入れて
下さった。私の「心の宝石函」には先生の達筆で、手直しして下さった「過呼吸症候群」の
原稿も入っていて、懐かしい思いでしばらく眺めた。
その後私の3冊目の著書「私は自分をこう変えたい」同文館出版(平成3年2月発行)の中
の1章分を、その知識が多少ある私に、出版社の要望で「大脳の不思議な世界をのぞく
(大脳生理学者品川嘉也教授に聞く)」の対談を先生にお願いした。
すると、快く引き受けて下さり、大先生との対談が実現した。
平成二年八月「京王プラザホテル、瑠璃の間」で先生と対談し、その後編集者
と4人で食事をご馳走になった。私は大先生との対談で、すっかり舞い上がり、
「何か今日の記念になるものが欲しい」と探した。そして先生が吸っていたフラ
ンス製のキレイな吸い口のついた、たばこの吸い殻をラップで丁寧に包んで
キレイなリボンをつけ大切に保存した。タバコはピンクとグリーンだったが
今ではスッカリ色あせた。私はまたそれに可愛らしいをリボンに付け替えた。
嘉也先生の思い出と共に、「私の心の宝石函」に永久保存するつもりでそっと
収めた。