PHP研究所 2001年7月発行
◆思春期のわが家の子供達
☆先生の言うことより娘を信じた
娘が中学2年のときですが、「お子さんの事で話がある」と、担任の先生に呼
ばれました。その先生がおっしゃるには、「お宅のお嬢さんは大変問題児で、いつも
何かあると先頭に立ち、みんなを誘導して校長室まで抗議に行く」と言うことでした。
さらに、「来年は高校受験だけれど、こんな個性の強いお子さんはとても私立
高校は無理だと思うので、比較的開放的で自由な公立高校に進学した方がよい」と
話されたのです。私自身もかなり目立ちたがりのうえ個性的な中学生でしたので
先生の話しにはまったく動じませんでした。そして私はこう言ったのです。
「先生にはご心配やご迷惑をかけて大変申し訳ありません。実は母親の私も娘と
お同じように(ただし校長室など押しかけたことなどありませんが)とても個性的
でしたので、あまり心配は致しません。娘が校長室に押しかけたとおっしゃいますが
多分それなりの事情があったに違いありません。何故なら彼女はとても正義感の
強い性格ですから、私は娘を信じております。それから進学のことですが、高校は
娘の学力に応じて本人の希望した学校に進学させるつもりです」先生は私の答えに
大変驚いたようでした。こんなとき多くの母親は仰天し、とても心配するのかも知
れませんが。私は先生の意見より、自分の娘の方が正しいと判断できたのです。
あまり動じない私に呆れたのか、驚いたのか分かりませんが、憮然としている先生
でした。家に帰ると、娘が玄関でとても心配そうな顔で待っていました。
そして「先生に何か言われたの?」と、聞いてきたのですが、私は余計なことは
一切言わずに「進学の相談だけよ」と明るく答えました。
もしも先生に言われたことのすべてを話したら、人一倍感受性の強い娘がとても
傷つくのことが、私にはハッキリ分かっていたからです。ホットしたような表情に
戻った彼女ですが、何かは感じていたようです。大学生になったある日ですが
昔の思い出していた会話から、そのときのことを「あの時先生から言われたはず
なのに、ママは一言も叱らなかった。でもそれがすごく有難かった」と言い、娘は
改めて「ママ有難う」と言ってくれたのです。私が言わなくても、先生に呼びつけ
られた理由は自分でもはっきり分かっていたのでしょう。
◆ 息子の受験
息子は大学付属の高校を受験したのですが、その日の出来事で私は忘れられない
ことがありました。私が仕事で外出して帰ると、いつもは明るく元気な息子が
顔色も悪くボンヤリしてリビングの椅子で座っているではありませか。
ビックリした私は「これは多分試験の結果があまり良くなかったのだ」と
ピンときましたが、やはりそうでした。「あのね、ママ今日の試験あまりよく
できなかったの」と言うではありませんか。大学の付属であるその高校が本命
でしたので、内心ガッカリしたのですが、そのことはおくびにも出さず、青い顔を
している息子にわざと明るくこう言ったのです。「大丈夫よ。まだ00高校も00
高校もあるじゃやない。元気出して!」と。すると息子あは急に元気になり、「そう
考えればそうだよねママ、だって高校は一つだけじゃないもの、僕お腹すいちゃった」
と部屋を出ていき、自分の部屋からお弁当を持ってきて食べ始めたのです。
それは食べざかりの息子のために、私が朝早く起きて大好きなものばかりつめた
特製のお弁当でした。きっと試験が思い通りにできなくて、胸がイッパイになり
可哀想に食べられなかったのでしょう。ほとんど手をつけていないお弁当を、美味し
そうにパクパク食べている息子を見たら、こんな大きな体をしていても、精神的には
母親を頼っているのだと、息子の大きな背中を見ながら、そんな息子が愛しくて涙が
こぼれたのを、一生忘れることはないでしょう。なぜならその日は父親も姉も家に
いたのですから、やはり子供にとっては母親は精神的な支えであることを痛感したの
です。もしもあの時私が「本命の高校なのに、どうしてもっと頑張れなかったの」
などと言ったら、彼はますます落ち込んだのに違いありません。
そんな時の母親の労わりや、励ましの言葉が、落ち込んでいる子供にとってどん
なに重要であるかを実際に体験し「成人するまでメンタルな(精神的)な意味では
子育ては終わらないのだ」と強く感じました。母子で心配した受験は成功し、無事
に本命の高校に息子は合格できたのです。
注 PHP研究所の京都から執筆依頼に来た編集者は、その依頼内容は人間関係
とか、ストレスなどの方向性でいた。それが私と色々話しているうち方向転換して
子育ての本と内容が変更した。子育て時代の20代30代は、まだ心理カウンセラー
ではなかったが、内容は私のユニークな幼児期から思春期までの子育ての実体験
を書いたものだ。今気づいたが、子供達が思春期の頃には、すでにかなり心理学
を学習していたので、多分このように対応できたのだと思った。
その一部を読んで頂けば、私が子供達をどのように育てたかを、きっとご
理解頂けると思うので、前々日の投稿記事をもう一度読んで頂きたいと思っている。
◆思春期のわが家の子供達
☆先生の言うことより娘を信じた
娘が中学2年のときですが、「お子さんの事で話がある」と、担任の先生に呼
ばれました。その先生がおっしゃるには、「お宅のお嬢さんは大変問題児で、いつも
何かあると先頭に立ち、みんなを誘導して校長室まで抗議に行く」と言うことでした。
さらに、「来年は高校受験だけれど、こんな個性の強いお子さんはとても私立
高校は無理だと思うので、比較的開放的で自由な公立高校に進学した方がよい」と
話されたのです。私自身もかなり目立ちたがりのうえ個性的な中学生でしたので
先生の話しにはまったく動じませんでした。そして私はこう言ったのです。
「先生にはご心配やご迷惑をかけて大変申し訳ありません。実は母親の私も娘と
お同じように(ただし校長室など押しかけたことなどありませんが)とても個性的
でしたので、あまり心配は致しません。娘が校長室に押しかけたとおっしゃいますが
多分それなりの事情があったに違いありません。何故なら彼女はとても正義感の
強い性格ですから、私は娘を信じております。それから進学のことですが、高校は
娘の学力に応じて本人の希望した学校に進学させるつもりです」先生は私の答えに
大変驚いたようでした。こんなとき多くの母親は仰天し、とても心配するのかも知
れませんが。私は先生の意見より、自分の娘の方が正しいと判断できたのです。
あまり動じない私に呆れたのか、驚いたのか分かりませんが、憮然としている先生
でした。家に帰ると、娘が玄関でとても心配そうな顔で待っていました。
そして「先生に何か言われたの?」と、聞いてきたのですが、私は余計なことは
一切言わずに「進学の相談だけよ」と明るく答えました。
もしも先生に言われたことのすべてを話したら、人一倍感受性の強い娘がとても
傷つくのことが、私にはハッキリ分かっていたからです。ホットしたような表情に
戻った彼女ですが、何かは感じていたようです。大学生になったある日ですが
昔の思い出していた会話から、そのときのことを「あの時先生から言われたはず
なのに、ママは一言も叱らなかった。でもそれがすごく有難かった」と言い、娘は
改めて「ママ有難う」と言ってくれたのです。私が言わなくても、先生に呼びつけ
られた理由は自分でもはっきり分かっていたのでしょう。
◆ 息子の受験
息子は大学付属の高校を受験したのですが、その日の出来事で私は忘れられない
ことがありました。私が仕事で外出して帰ると、いつもは明るく元気な息子が
顔色も悪くボンヤリしてリビングの椅子で座っているではありませか。
ビックリした私は「これは多分試験の結果があまり良くなかったのだ」と
ピンときましたが、やはりそうでした。「あのね、ママ今日の試験あまりよく
できなかったの」と言うではありませんか。大学の付属であるその高校が本命
でしたので、内心ガッカリしたのですが、そのことはおくびにも出さず、青い顔を
している息子にわざと明るくこう言ったのです。「大丈夫よ。まだ00高校も00
高校もあるじゃやない。元気出して!」と。すると息子あは急に元気になり、「そう
考えればそうだよねママ、だって高校は一つだけじゃないもの、僕お腹すいちゃった」
と部屋を出ていき、自分の部屋からお弁当を持ってきて食べ始めたのです。
それは食べざかりの息子のために、私が朝早く起きて大好きなものばかりつめた
特製のお弁当でした。きっと試験が思い通りにできなくて、胸がイッパイになり
可哀想に食べられなかったのでしょう。ほとんど手をつけていないお弁当を、美味し
そうにパクパク食べている息子を見たら、こんな大きな体をしていても、精神的には
母親を頼っているのだと、息子の大きな背中を見ながら、そんな息子が愛しくて涙が
こぼれたのを、一生忘れることはないでしょう。なぜならその日は父親も姉も家に
いたのですから、やはり子供にとっては母親は精神的な支えであることを痛感したの
です。もしもあの時私が「本命の高校なのに、どうしてもっと頑張れなかったの」
などと言ったら、彼はますます落ち込んだのに違いありません。
そんな時の母親の労わりや、励ましの言葉が、落ち込んでいる子供にとってどん
なに重要であるかを実際に体験し「成人するまでメンタルな(精神的)な意味では
子育ては終わらないのだ」と強く感じました。母子で心配した受験は成功し、無事
に本命の高校に息子は合格できたのです。
注 PHP研究所の京都から執筆依頼に来た編集者は、その依頼内容は人間関係
とか、ストレスなどの方向性でいた。それが私と色々話しているうち方向転換して
子育ての本と内容が変更した。子育て時代の20代30代は、まだ心理カウンセラー
ではなかったが、内容は私のユニークな幼児期から思春期までの子育ての実体験
を書いたものだ。今気づいたが、子供達が思春期の頃には、すでにかなり心理学
を学習していたので、多分このように対応できたのだと思った。
その一部を読んで頂けば、私が子供達をどのように育てたかを、きっとご
理解頂けると思うので、前々日の投稿記事をもう一度読んで頂きたいと思っている。