ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

 春愁より春鬱

2018-03-22 10:40:03 | エッセー
 桜も開き始めたのに大雪が降って、そのため各地はは大変だったようだ。
例年お天気が多く、我が家の恒例は小池家の菩提寺下北沢、私の実家の白金高輪
実母が眠る四谷の3カ所のお墓参りだった。さすがに行く気がしない。
事に実家の立行寺は、その墓地では一等地だが、急な石段を昇らなくてはならず
最近めっきり足が弱くなった夫は(もしかしたら今年は最後のお墓参りかも知れない)
と私は思っていた。

 3時頃「痛い、痛い体が動かないよ、どうすれば良いんだろう」と、夫の声で
目覚め飛び起きた。「だ丈夫?どうしたの?」と電気をつけて、夫の様子を見たら
首が痛くて体が動けないようだ。手を貸して何とか起き上がらそうとしたが、私の
非力を熟知しているので「良いよ、何とかするから」と言った。
 そのため、布団や枕をずらして、少しでも体を動きやすいように工夫したら
「痛い、痛い」と言いながら体を少しづつ動かして、何とかベッドから降りた。
 トイレへ行ってまたようやくベッドに横になったので、私は張り薬を首筋に張ったら
「有難う,少し楽になった」と言ってすぐに眠ったようだ。
  これからこんなことが度々起きたとしたら、とても老妻一人では介護できない。

 まして私の心の中は今嵐が吹き荒れている。そのために新しい呼吸法を作ったり
自分の座右の銘を唱えたり、セルフヒーリング法など、プロとして色々コントロール
している。一年前に起きた事件が諦観出来た状態に、また起きた次ぎの事態は、私の
人生のまるで「春分の日のように突然変異」だと思う。
 どんどん老化する上、少しづつだが進行していく認知症、そんな時私は思う。
事故や天変地異などが起きて、二人で一緒に死ねればよいと・・・
 人一倍神経が細い私なのに、何とか元気なのはは今まで培った「専門的な知識」
のお陰」だ。また「自分に起きることは、全て偶然ではなく必然だ」と受け止め
何とかそれを乗り越えなければと努力しているが、果たしてそれが
いつまで続けられるのか、自分でも分からない。
コメント
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