先週末の、両親叙勲のお祝いの会の様子をご報告します。
当初は、
春に緑綬褒章をいただいた母のお祝いを11月にすることにしていたのですが、
9月ごろ、父も叙勲することがわかって、
それなら、一緒にお祝いしないといけないよね、ということになり、
親族のスケジュールを合わせて、やっと日程が決まったのが、
10月中旬過ぎ。
仕事がかなり忙しい時期でしたので、
なかなか準備が進められなかったのです。
12月はもう忘年会のシーズン。
土曜日の夜ということで、もう選択肢があまりなかった中で決めたのですが、
結果的には、とてもよかったと思います。
打ち合わせに伺ったとき、
お祝いの内容をお話したら、
「それなら一番大きなお部屋をご用意しましょう」
とご担当の方におっしゃっていただいたのです。
お部屋は、控えのスペースがあるゆったりした広さ。
スタッフの方も常時3人ほどつきっきりでお世話をしてくださり、
とても贅沢な気分を味わうことができました。
しかーし!反省点が・・・
席札を用意したまではよかったのですが、そこまでで精一杯になってしまい、
進行をきちんと考えていなかったため、ちょっとゴタゴタしてしまいました。
イベント会社に勤めていながらハズカシイ・・・
まあ、でもなんとか無事に済みました。
両親はじめ皆さんにも喜んでいただけたようでしたので、ホッとしました。
両親が持ってきて見せてくれた勲章。
上:父がいただいた「瑞宝中綬賞」。首からかけるタイプ。
下:母がいただいた「緑綬褒章」 ピンで装着します。
みんな、初めて見る勲章に興味深々。
甥っこなどは、ケイタイで盛んに写真を撮っていました。
会場は、新宿にあるハイアットリージェンシー東京。
お部屋はこんな感じでした。
15人がゆったり食事をすることができました。
でも、こんなことを言ってはなんですが、それなりにリーズナブル。
ご興味ある方はこちらをご覧ください。
次回は、皆さんにも好評だったお料理をご紹介します。
私事で大変恐縮ですが、
春の母に続き、父もこの度叙勲しました。
いただいたのは、「瑞宝中綬章」。
なんとなくそんな対象ではあったらしいのですが、
父自身もびっくりしていました。
父の場合は、大学で教鞭を執り、学部長も二期務めましたので、
それでなのかな、と思いましたが、
よくよく聞いてみると、教職者の育成40年・・・
というのが主な叙勲の理由とのことでした。
母の時と色々違うことは、まず管轄は文部科学省。
そして、何しろ大勢の方々がいただくので、
伝達式はホテルで、という点。
今回は、母も来ることができたので、
私は受付を済ませるところまで付き合って帰ってきました。
受付の様子。スゴイ人です。
皆さん、それぞれ自分が受章した時に通知される番号で受付をします。
父は69番でした。
モーニングとお着物姿の妙齢のご夫婦がこれだけ集まっているのを
見ることは、なかなかない経験です・・・
両親です。
父が着ているモーニングは、
その昔、教え子さんの仲人をずいぶんやっていた頃に作ったもの。
母の色留袖は、髪が白いのでよく似合っているなあ、と思いました。
なんとか自分達の座る席もわかり、一応ひと安心。
伝達式の後は、皇居で天皇陛下にお会いするということでした。
母にしても父にしても、
たくさんの方々にお世話になってのことなので、
諸方面に感謝しなければいけません。
2人が大きな病気もせず、今までこられたということにも感謝・・・
それにしても、こんな両親のもとに生まれているのに、
子どもはいたって平凡な人生・・・
ま、健康で普通に仕事ができているのだからいいか・・・と
自分を納得させるしかありません。
12月初旬に、兄と私の主催で、
ごくごく内輪でお祝いの会をすることにしました。
こういう時、今の仕事をしていることが役に立ちますね。
皆さんに喜んでもらえるようがんばります。
先週の母の付き添いの続き・・・
あ、これは、母の一家です。前列左が母です。
右から2番目の祖母が抱いているのが兄なので、
私はまだこの世に存在してない時代ですね・・・
さて、褒章受章の朝、
ホテルで着付をしてもらった母とともに厚生労働省に到着すると、
すでにたくさんの方々が集まっていらっしゃいました。
この日、母と一緒に受章したのは、
緑綬褒章、黄綬褒章、藍綬褒章受章の方々111人です。
母と同じ緑綬褒章を受章するのは、全国で21人と少ないらしいです。
母は、モスグリーンの色留袖。
何年か前から、髪を染めるのをやめてしまったので真っ白なのですが、
なかなか似合っていました。
皆さん、とりあえずは金屏風の前で記念撮影。
受章式は30分ほど。
本来なら、舛添大臣が挨拶するのですが、
公務・・・とのことで、副大臣でした・・・残念・・・
これがいただいた勲記(というのだそうです)です。
わりと大きめです。
天皇陛下からいただくのですね・・・
でも、総理の名前も入っています。
そして、褒章。
裏には、母の名前が彫ってありました。
何でできているのかな・・・かなり重かったけど・・・
昼食はお弁当を出していただきました。
お赤飯やエビや日の丸ゴハンで、お祝いムード。
その後は、母はバスに乗って皇居へ。
私は見送って帰ってきましたが、
あとで話を聞くと、豊明殿というお部屋に、
法務省とか文科省とか、他の管轄の受章の方も一緒に集まり、
陛下に会ったそうです。
「テレビで拝見しているのと同じだったわ」なんて言っていましたが、
母の時代(戦争の経験がある)の方々にとっては、
やはり感慨深いものがあるのではないかと思いました・・・
とにかく無事に終了。
今回の母の受章は、父や周りの方々の大きな支えもあるので、
皆さんに感謝したい気持ちです。
私にまでお祝いをおっしゃってくださった方も多く、
心から感謝いたします。
ありがとうございました・・・!
昨日は、叔母2人とその仲間たちのヒミツの会合・・・
なーんて・・・
それぞれの誕生日の時期に集まっているというだけです。
食事をしてカラオケ・・・がお決まりです。
3月生まれは私だけなので、
昨日はたくさんお祝いしていただきました。
いただいた、春らしいお花と、大好きな色、ブルーのスカーフ・・・
ありがとうございました・・・
さて、今回は、初めて兄が参加。
叔母が声をかけてくれていたのです。
兄とカラオケなんて初めてだ~
兄は、私より4歳年上。心優しい人です。ケンカをした記憶がありません。
趣味で、アカペラのコーラスグループに所属し歌っています。
結構この活動が忙しいらしく、様々なイベントに呼ばれているみたい。
一度ライブを聴きに行ったことがありますが、なかなか上手いんですよ。
昨日のカラオケでは、SMAPなど、結構いい声で歌っていました。
兄も小さい頃から音楽が好きで、
中学校時代は、ブラスバンドでトランペットを吹き、
大学時代はバンド活動でドラムをたたき、
そして今はコーラス・・・
考えてみれば、ずっと音楽に関わっているんだなあ・・・
昨日、兄から初めて明かされた事実がありました。
叔母たちは、何しろ私たちを生まれた時から知っているのですから、
様々な昔話に花が咲きました。
兄は、母の実家にとっては初孫で、その上女の子みたいに
可愛かった(らしい・・・)ので、リボンとかつけられていたとか、
私のお宮参りの時、何しろ落ち着きがなくて大変だったとか・・・
そんな中、私が中学生、兄が高校生の時のことに話が及び、
「あの時は、食事の時とか家の中が険悪でイヤだったんだよ・・・」
とぽつりと言われました・・・
私は、中学校の3年間、ひどい反抗期で、
何しろ親の言うことが気に入らず、
一言も口をきかない日々でした。
自分のことしか頭にない最悪な中学生でしたね。
心優しい兄にイヤな思いをさせてしまったことが本当に申し訳なく・・・
ひたすら謝ったのは言うまでもありません・・・
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昨晩のメニューは、にんじんの他、いんげん、れんこん、さつまいも、玉ねぎ、そして、私が、豆とちりめんじゃこのかき揚げを作り、盛りだくさんの食卓を囲みました。
甥たちは、上は中1、下は小4です。兄は忙しい営業職、姉は家庭を守りながら、子どもたちの将来のためにと、できる範囲で働いています。同じ都内にいながら、なかなか会わないので、学校や仕事のことなど、様々な話を聞かせてもらい、1年分を埋めました。
それにしても、よく食べてよく飲みました。体重計のことは、今は忘れよう....